蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

小津安二郎監督「晩春」再見


闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.16


見るたびにいろいろな発見とさまざまな感慨が浮かんでくる映画です。
私はこれまで笠智衆の父親と原節子の娘が住んでいるのは北鎌倉だと思っていたのですが、そうではなく鎌倉でした。海まで14,5本という会話が出てきましたから、長谷辺りではないかと想像しました。

冒頭いきなり出てくるのが北鎌倉の駅のプラットホームと円覚寺なのでついそうだと思い込んでいたのですが、原節子円覚寺のどこかで開催されるお茶の会に出席していただけなのでした。昭和24年1949年現在の古都と古刹の古雅な光景は鎌倉だけでなく京都の清水寺や龍安寺も登場してきて懐かしさを誘われます。

もっと懐かしいのは原節子が自転車に乗って稲村ケ崎を越えて七里ガ浜まで遠乗りする国道134号線の砂浜の今とは打って変わった静けさです。
コカコーラの広告塔がぽつんと立っている道路を春風に向かって走る原節子のなんと若々しく美しい笑顔でしょう。ここでは小津と彼のアイコンである原節子と映画が完璧に三位一体化して永遠の生命に輝いています。


さらにまた冒頭で興味深いのは、父と娘が鎌倉から横須賀線に乗って東京まで通勤するシーンです。キャメラは大船から横浜、川崎、新橋へと走る電車の全景、多摩川にかかる鉄橋をとらえ、はじめは車内で立っていた二人がまず父親が大船辺りで座り、娘は横浜辺りで座るところをとらえています。私も長い間この電車に乗って通勤していたので、こういう感じはよくわかるのです。娘は岩波文庫を読んでいるのでかなり知的な女性だということが分かります。

それから東京の大学で教授をしている笠智衆の父親と彼の教え子との会話もおもしろい。ドイツの経済学者のリストの綴りは作曲家のリストとは違うという話をしています。

物語はご存じのように片親の27歳になった娘と彼女の将来を案じどこかへ嫁がせようとする父親との葛藤です。その葛藤が急激に高まるきっかけになるのが二人が見物する観世流の能「杜若」のシーン。幻の名人の名人芸をBGMにして娘の黒い疑心暗鬼が広がります。

この映画の原作は広津和郎の「父と娘」ですが、映画では娘の結婚相手が登場せず、そのことが逆にこの映画の主題の深刻さを浮き彫りしているような気がします。そしてそのクライマックスが京都の宿での父娘相姦?ということになるのですが、小津はいくらなんでもそこまで描こうとしたのではないでしょう。
ただしその暗い傾きは陰に陽に感じられ、怪しく揺れ動く処女の激情を原節子がけなげに演じています。

ラストの嫁入りの挨拶は泣かせますが、嫁がせた父親の悲嘆をリンゴの皮むきで代置するのは笠が大泣きの演技を断ったからという事情を勘案してもやはり無理があり、その感銘を「東京物語」の終幕に譲ります。

音楽はお馴染みの斉藤高順ではなく伊藤宣二ですがその主題に無関心なまでに能天気な「晴れた音楽」の付き合わせ方が斎藤とまったく同質であり、それが小津の狙いであったことをはしなくも物語っているようです。


 ♪林檎の皮を剥きながら嫁入りした娘の身の上を案じる笠智衆よ 茫洋