蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

06年5月20日メト・ガラコンサートを視聴して


♪音楽千夜一夜第88回

私がこのSNSで読書や映画メモをつけはじめたのは、「ハリーとトント」という映画を何回見てもなにも覚えていないことに気づいたからでした。

おそらく30年間に少なくとも3回は見たこの映画は、ニューヨークの下町で2人の老人が出てくる人情映画でかなりの秀作であるあるとはぼんやり覚えているのですが、それ以上はいくら思いだそうとしてもなあんも脳裏に浮かんできません。
そこでこれからはどんな映画や本でも必ず題名と作者・監督と簡単なメモを残しておこう、そう思って始めたのがこのコラムでした。

で、今回のコンサートの録画ですが、どうもこれは以前に見たらしい。それははじまって5分ほどしてから分かりました。舞台美術の助手から叩き上げて42年、ついにあの有名なルドルフ・ピングの跡を継いでなんと16年間もメットの総支配人を務めたジョセフ・ヴォルピーの引退を記念するコンサートだったからです。

ジョセフ・ヴォルピーといえばおのれの喉を鼻にかけてメトの練習に毎回遅刻して怒り狂ったレヴァインに同調して、あの高慢で自己中なキャスリーン・バトルの首をすスパっと切った快男児としてNYのみならず世界中で名を馳せました。あの温厚な紳士をあれほど怒らせたのですからよほどの下種女だったのでしょうね。今でもこそこそ暗躍していますが完全に過去の人となり果てました。「芸は身を滅ぼす」の好例でしょうね。

閑話休題。さて当夜はまずジュリアーニ元NY市長が劇場の前でさすがメト愛好家らしい上手な挨拶をするところからこの3時間を超える公演が始まります。
登場するのはナタリー・デセイ、マイアー、フレミング、マッティラ、フォン・シュターデ、テ・カナワ、ハンポソン、ドミンゴ、ジェームズ・モリス等々豪華絢爛の歌い手たち。最近クラシック界からすっかり足を洗ったカナワがシュターデと組んで歌うコシファントゥッテのじつにチャーミングなこと。思えばこの2人は70年代のグライドボーンを中心にモーツアルトの歌劇にどっさり出演して大西洋間の話題をさらっていたのです。

しかしソプラノもバリトンもみな歳をとりました。フレーニは歌わず、モリスはワーグナーを歌いましたがもはや往年の輝きは消え失せ、ハンプソン、ドミンゴも哀愁を誘います。デセイ、マイヤーも衰えを隠せません。ひとり気を吐いたのはルネ・フレミングで彼女が最後に歌った「この歌をうたったら」は満場の涙を呼びました。

この夜の記念公演でぽっかり空いていた穴が2つ。それはメトの不動の指揮者ジェームズ・レヴァインの病欠でした。私がかつてここで耳にしたレヴァイン指揮によるトリスタンは、ニルソンのイゾルデが最高の出来栄えで、ああこの席でもういちど彼女の雄たけび?を聞きたかった思ったことでした。

もうひとつの不思議は当夜の主役ヴォルピーのスピーチがなかったこと。なにか深い訳でもあったのでしょうか。私が思うに、彼の一番の功績は、好漢レヴァインゼフィレッリ、オットー・シェンクなどの名伯楽を得て、谷垣自民党が目指そうとして永久にできそうにない、いい意味で伝統的で、保守的な歌劇をいたずらに前衛的な演出をもくろんで動揺する他のオペラハウスを歯牙にもかけず、貫きとおしたことです。それは彼の後継者がゼフィレッリの舞台を撤去したときに期せずして起こったブーの大合唱に象徴されていると思います。メトは、メトだけは変わってはいけなかったのです。



カラヤンに可愛がられ調子に乗ったあほばかバトル今宵はいずこをさすらうか 茫洋