蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

横須賀ところどころ 第3回


茫洋物見遊山記 第5回


ところでヴェルニー記念館の当時28歳のヴェルニーを起用して横須賀に製鉄と造船所を作ったのは、幕府の陸軍と海軍の奉行並を兼務していた、つまりは軍のトップであった小栗上野介(忠順)でした。

小栗上野介は明治政府の近代化政策の骨格を敷いたと評される開明的な頭脳の持ち主で、将軍徳川慶喜を説いて300億円を拠出させ、駐日フランス公使のレオン・ロシュの協力を得てヴェルニーを招聘し、横須賀造船所を創設したのでした。また製鉄所の建設をきっかけに横浜仏蘭西語伝習所という日本初のフランス語学校を設立。これもロッシュの助力でフランス人講師を招いて本格的な授業を行ないました。

ロシュなどの外国人との交際においては、彼が安政7年1860年に咸臨丸の一行とともに渡米して、かの地で優れた文明と科学技術に接した貴重な経験が存分に生かされていたようです。

しかし薩長との武力対決を唱えた小栗はその主戦論が容れられず、職を罷免されて郷里の高崎・権田村に帰りましたが、明治新政府から恨みを買い、慶応4年1968年4月4日の午前11時に斬首されて果てました。裁判なしの即時処刑ですから維新政府の兵士も無茶苦茶なことをしたものです。

ヴェルニー記念館のあるヴェルニー公園の一角には小栗上野介とヴェルニーの二人の胸像が並んで建てられ、その視線は彼らの青春の思い出である横須賀の港を見つめています。


♪上野介の首が落ちたるさざれ石 茫洋