蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第28回


bowyow megalomania theater vol.1


園長先生は、おっしゃいました。

「20年施設の仕事をやってきましていま思うことは、もう一回障碍児教育の原点に帰ろう、ということです。見る、聞く、触れる、味わう、匂いをかぐ、5感のすべてを動員して人間らしくいきいきと生きる。障碍のある人も、ない人も、その人なりに精いっぱいに生きる。その人のありのままの生命を素直に肯定する。それが障碍児者と私どものかかわりの出発点だと思うのです」

 突然、いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ……というあの歌が、頭のどこかから聞こえてきました。

いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ

手も足もない、ぶよぶよと豚のように太った存在。口から泡を吹いた哀れな動物のような人間が、光を通さない地下室のようなところで、ゴロゴロとなすすべもなく転がっている光景を、僕はどこかで見たような気がしました。

それはノブいっちゃんでした。それにヒトハルちゃんでした。いや、僕の姿でした。
この悲しい光景を悲惨といわずに感動的な光景だと断言できる人がいるのだろうか。

ここにいる立派な園長先生は、僕のような、木偶の坊のような、いも虫のような、ミノ虫のような哀れな存在に生命の輝きを見出し、その輝きに感動できる人なのでしょうか? 僕にはまるで分かりませんでした。

いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ
いも虫ごろごろ、俵はどっこいしょ


ト短調で生きるなハ長調で生きるんだ 茫洋