蝶人戯画録

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鎌倉国宝館でひな人形展を見る


茫洋物見遊山記第20回&鎌倉ちょっと不思議な物語第212回

今年も国宝館恒例のひな人形の陳列が始まりました。(4月4日まで開催)

これを眺めていると今年もようやく春になったのだなあ。またひとつ馬齢を加えたのだなあ。わが家の女の児は家内だけだなあ。家族ともどもあと何年くらい安穏に暮らせるのだろうなあ、とさまざまな想念が湧いてくるのがいと不可思議です。

ひな人形の起源は平安時代にまでさかのぼるそうです。源氏物語にも時々出てくる「形代(かたしろ)」、お祓いのために身代わりで川に流した紙人形がその原型ではないか、と私は勝手に想像しているのですが、もはや捨てようとしてもあまりにも立派で博物館くらいにしか安置できなくなった江戸時代のお雛様100点が会場狭しと並んでいる姿はけだし壮観です。

江戸時代といってもほとんどが享保時代のひな人形ですが、その顔容の能のお面を思わせる幽玄美と細密無比な工芸技術の冴え、全身の堂々たる造型感覚、そして身にまとう衣服の立派さには思わず脱帽します。彼らの息女の健康と平安を祈念する恰好の形代として、こんな見事なひな人形を、当時の分限者は所有していたのです。しかしそれは、彼らの子孫への愛情の表現であるとおなじくらい、彼らの富貴の誇示でもあったはずです。

ところで会場のひな人形の並び方は、現在のお雛様とは左右が逆になっています。学芸員の方にその理由を尋ねましたら、昔からわが国では左大臣が右大臣より偉かったように、「左」が「右」より優位の「立ち位置」だったので、この会場のお雛様のように「向かって左に女雛、右側に男雛」というスタイルで並べていたそうですが、大正天皇もしくは昭和3年の昭和天皇の成婚式の際に西欧先進国の先例にならって左右を入れ替えていらい、現在の形になったのだそうです。
やはり昔ながらの男尊女卑の陋古な慣習はまずい、と考えたのでしょうね。

♪母上のグリンピースの混ぜご飯妻が作りて食べさせてくれたり 茫洋