蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ボーザール・トリオの「ハイドンのピアノトリオ全集」を聴いて


♪音楽千夜一夜第127回&バガテルop125

ピアノがメナハイム・プレスラー、ヴァイオリンがイシドール・コーエン、チエロがベルナール・グリーンハウスの3人による演奏は、むかしLPで一枚ずつ揃えて大切に聴いた覚えがあるけれど、その後ずっと長い間忘れていて、1か月前に吉田秀和翁の「名曲の楽しみ」でホーボーケン番号の35番だか6番だかを聞かされて、それがこの節はやりのギンギンのクールな音色とは遠く離れた人肌の温みを思わせる優婉な味わいの音楽だったので、こないだネットで買って仕事の合間にBGMのように聴きながら、それでも耳だけは懐かしい旧友の声に耳を奪われるようにして昨日とうとう聴き終わったのですが、ああ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、冥途の土産に聞いておいて本当に良かった。やはりベートーベンもよい、モーツアルトもよい、シューベルトシューマンも結構毛だらけ猫灰だらけお前のかあちゃん糞だらけですけれど、ハイドンの音楽は、やっぱなんというか大人の音楽で、若書きの曲すらも相当年季が入っていて、かの小林秀雄モーツアルトやらバルトークを、中原中也シューベルトに入れ込んだのに対して、大岡昇平ハイドンに一家言を持った(がほとんど書かなかった)というのは、いかにも昇平らしくていいなあと雨がジャブジャブ降る春の宵にひとり静かに想うのでしたが、それにつけてもこの名盤やハスキルグリュミオーシェリング、ネビル・マリナーやらコリン・デービス、クラウディオ・アラウブレンデルやシュライヤーやらメンゲルベルグの歴史的銘盤を和蘭を本拠地に続々送り出してくれたフィリップス・レーベルの死滅とロンドン・レーベルへの吸収合併はいかにM&Aばやりの昨今とはいえそぞろ身にしむ寂しさであるわいなあ、そういえば木挽町の歌舞伎座もあんなに反対運動を繰り広げたのに今月いっぱいで閉幕になるという、さすれば帝都一を誇った最高の音響も永遠に失われる、3階立ち見席にあざやかに聞き取れた清元志寿太夫の破天荒の唸り声も中村歌右衛門の艶冶な衣擦れの音ももはやわがなれ親しみし空間ともども悠久の彼方に消え去ってゆくかと思えばあな悲しあなうらめし夢も希望もあるものかいなと涙涙にかき暮れし卯月壬辰の宵なりき。


次々にわれらの夢が消えてゆく大きな夢も小さな夢も 茫洋
どこか夢を売っているところを知りませんか