蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

三菱一号館で「マネとモダンパリ展」を見物しながら


茫洋物見遊山記第34回&勝手に建築観光39回

最近買ったばかりのパナソニックのブルーレイレコーダーの電源が勝手に入ったり、やくざと一体化した相撲界がてんやわんやの大騒動になったり、せっかく小沢と鳩山がおん出てくれた政党でなにを勘違いしたのか消費税を10%上げると口走ってまたまた支持率大幅ダウンを勝ち取ったあほばか首相が出てきたり、ともかくいろんな事件が毎日のように起こるのでついつい見そびれていたマネ展をようやく瞥見することができました。

 さて印象派もいろいろありますが、私がこれは印象派だなあと思うのは美術流派としてはポスト印象派に勘定されているセザンヌやらゴーギャンやらゴッホなどであって、モネを例外とすれば、今回のマネもドガもあんまりインプレッションは感じない。むしろ写実の中にある種のインプレッションを求めようと模索したのではないでしょうか。


私はむかしポール・ヴァレリーの「ドガ、ダンス、デッサン」という美術論を読んで、この博学の思想家の絵画を見る目の鋭さに驚きましたが、今回のマネについても「マネは黒だ。黒だ。要するに黒だ」という彼の名言に尽きると痛感しました。マネ独創の黒の中には無数の明度、彩度そして色相さえもが入っていて、それが彼の絵にじつに豊かな感興をもたらしているのです。

例えば有名な「死せる闘牛士」を見よ。牛に刺されて地面に横たわっているトレアドールはあまり死んでいるようには思えませんが、それでも彼が死んでいると分かるのは赤い血と黒い格闘着の漆黒の黒の死の色があまりにも生き生きとして美しいからであって、彼の顔容に死の気配が漂っているからではありません。(つまり私は、マネは死体としての表現は下手くそだけど、ただ黒の素晴らしい彩色で助かっていると主張している)。

次にはあの有名なバルト・モリゾの肖像画の連作を見よ。この愛すべき人物画の主役を務めているのはじつはモリゾというモデルではなくて、黒という色彩の鮮やかな存在そのものであることに見る人は気づくでしょう。
黒、黒、黒! そこがモネの生命線なので、じっさい彼が黒を基調としない人物画や風景画にこれといったものはないといっても過言ではありません。(つまり私は、モネに幽玄の黒なかりせば2流、3流の作家であると主張している。)

ついでに今回初めて訪れた三菱1号館は(もともとがオフィスであったために)いくつもの小さな部屋から成り立っていますから、この狭隘な空間を美術館として使うことは(観客がうんと少なければ別ですが)、視野狭窄、空間重層、移行不自由、美術品安全管理の上で数多くの難点をもたらしています。開館を続行するのはトラブルの元でしょう。ここを美術館として商売に使おうなどというけちな考えは即刻やめてほしいものです。
(つまり私は、こんな場所では絵をじっくり鑑賞することなど断じてできない。同じデベロッパーの森ビルが運営する六本木ヒルズの美術館と並んで都下最悪の美術館ではないかと主張している。)

それにしても巨大デベロパーの考えることはよくわかりません。1894年ジョサイア・コンドルの設計で丸の内最初のビジネスビルジングとして誕生した三菱1号館を2009年になって再建するほどの価値があるなら、三菱地所はどうして1968年にいとも簡単にぶっこわしたのでしょうか?

丸ビルだって新丸ビルだって、どうしてあんな立派な文化資産をいそいそと破壊して、超くだらない超高層ビルに建て替えたのでしょうか?
ああそうだ。いっそそれらも全部ぶっこわしてこの際明治時代の「一丁倫敦」を完璧に再現してみてはどうでしょう。ご当地の英国を含めて世界中から観光客がやって来て、泉下の岩崎弥太郎もごっつう喜ぶのではないでしょうか。


嘘臭い平成超高層うちくだき即一丁倫敦に戻すべし 茫洋