蝶人戯画録

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「車谷長吉全集第2巻」を読んで


照る日曇る日 第375回


車谷長吉は偏見と断定の人である。「女性の存在理由は男に向かって股を開くことにしかない」と言いきってはばからない。

車谷長吉はど阿呆の人である。大概の作家や評論家は自分がそうとうの叡智の人であるとうぬぼれているから、それがおのずと文章や人となりに出てきて嫌みであるが、この人には珍しくそれがないから、あれほど突き抜けた文になるのである。

車谷長吉は厭世の人である。生まれながらの蓄膿症の苦しみに耐えながらこの歳まで生き続けるよりも「死んだ方がはるかにまし」であった違いない。しかし「私は自殺しないで生きてきた」。

車谷長吉は捨て身の人である。学歴を捨て、立身出世を捨て、極貧に甘んじて地べたを這いずり、出刃包丁を投げつけられ、渡世人や世間の鼻つまみ者に愛されながら生き延びてきた。

車谷長吉は恥知らずな文学の鬼である。他人のプライバシーを無遠慮に侵害してその所業を社会にぶちまけただけでなく、喰うためにおのれの性的嗜好や腐れ金玉の所業を恥を忍んで書きまくってきた。

車谷長吉は生まれながらの詩人である。これと眼をつけた美女にはストーカーになることも辞さずに万難を排して酬いられない愛を求め、誰にも描けない珠玉のような「恋文絵」(絵入り葉書)を送りつける。

本巻に収められた長編小説のうちで圧倒的な感銘を与えるのは彼の代表作「赤目四十八瀧心中未遂」であるが、彼の自伝的小説である「贋世捨人」の最後の行の肺腑の言に涙しない読者はいないだろう。

車谷長吉は、魂の料理人である。されば今日もおのれの臓物を原稿用紙になすりつけながら、世界も凍る恐るべき秘め事を書き続けているのだろう。


これでもかこれでもかと君は己の臓物を投げつける 茫洋