蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

神奈川県立近代美術館鎌倉で「岡崎和郎展」を見て


茫洋物見遊山記第43回&鎌倉ちょっと不思議な物語第230回


雨の日に無人の美術館で現代美術を眺めるのも乙なものだ。岡崎という人の経歴も作品歴も何も知らないままにしおだれる軒をくぐって古い建物に入ると、そこには純白の精神世界が沈然と繰り広げられていた。

壁面の至るところに真っ白な庇が築かれている。庇といっても家の庇ではなく、庇に似たような出っ張りである。そのあるものは人の眉のように見え、またあるものは鳥のように、またおできのように、部屋のフックのように、盲腸のように、しまいには不吉な生物のように思えてくる。白くシンプルな形状をした様々な庇が、多様で複雑な表情を湛えて看る人の心をあらぬところへいざなっている。

無意味の意味といえばダダイズムだが、実際にこれは一種の無意味な挑戦であり、らちもない夢魔であり、時流に無関係なアナーキズムでもある。よってそれらをじっと見ていると、次第に理性がかく乱され、気が狂いそうになるのが分かるが、その手に乗ってはいけない。平地に静かなる大乱を起こそうとするのが、つまりはそれが作者の狙いなのだろう。

そのくせ白い庇から眼を放せば、すかさず作者は見る者を突き放すからたちが悪い。庇コレクションに混じって、白いキューピーちゃんや怪獣ガメラが現れてホッとしたが、
「補遺の庭」と題された今回の展示会の意図など、私のような無知蒙昧の徒には七度死んでも分かるはずはないが、「庇シリーズに飽きたら、周りの美しい樹木と水をホイホイ見てね」というような意味でもあるのだろうか。

作者よりも、こんなチンプンカンプンの作品を私蔵する人物に興味を懐いた不思議な展覧会であった。


白い庇に降る雪は過ぎし昔の思い出か 茫洋