蝶人戯画録

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澤井信一郎監督の「Wの悲劇」をみて


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.81

澤井監督の、というよりは角川春樹の、薬師丸ひろ子による1984年製作の青春映画である。

夏樹静子の原作なぞはどうでもよいが、実際ここには当の春樹をはじめ、仲谷昇、三田村邦彦、南美江、三田佳子、世良公則、清水浩治、蜷川幸雄などなど往年の俳優たちが雁首を揃え、なかには新人女優高木美保のフレッシュな姿も見える。

彼らはいずれもこの映画のフレームの中で生き生きと動き回り、思いがけない生命の輝きを見せていることにいささかの感慨を覚える。あれから20数年の歳月が経過したにもかかわらず、当然のことながら三田も蜷川も異様なまでに若く、これに比べれば、いまの彼らは死人同然とすら思えてくるような、この不可思議なエネルギーの発露と奇妙な高揚感はいったいなんなんだろう? 

つまりここに封じ込められているのは、まぎれもなく80年代日本の微熱を保った時間と空間の奇妙なねじれ、あの魅惑の糜爛(びらん)そのものである。

恋人への愛を抹殺し、先輩三田の清濁併せのむ生き方に倣って、女優への道を歩み始めた薬師丸ひろ子の苦渋に満ちたラストショットの裏側に、その後の私たちが辿ったほろにがい運命が透けて見えているのだが、そこへすかさずそこに流れてくる舌足らずの主題歌は、まるで彼女と私たちの青春時代への幽かな挽歌のように聴こえる。

「Wの悲劇」とは、私たちと私たちの国がその後陥ることになった取り返しのつかない悲劇のことだったのかもしれない。


スタジオで全員帽子を被っている少女が変か変と思うこっちが変か 茫洋