蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

イーストウッド監督の「ミリオンダラー・ベイビー」を観て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.114


はじめは歯牙にもかけなかった31歳のボクシング大好き貧乏娘を手塩にかけて育て上げ、とうとう世界チャンピオンに手が届いたその瞬間に、予期せぬアクシデントが起きて、そこから物語はぐんぐん深まる。

しがない初老のジムオーナーとブスなちんころ姉ちゃんの凸凹コンビであったはずなのに、それが師妹の関係を超え、もっともっと深い人間と人間の絆そのものが琴瑟相和して捩じれていう有様をここまで見せつけられると、われらの涙腺もついつい胡乱に取り乱す仕儀と相なるが、こういう通俗性満載のストーリー展開がもう完全に東森監督の自家薬籠中の手なれたものになっていることに賛嘆のほかはない。

強いて揚げ足をとりにいくとすれば、いくら名うての悪役ボクサーだってプロレスではあるまいしあんな反則行為をするわけがない。しかし映画はまさにありえないその起点から離陸して寝たきりヒロインへの献身や尊厳死安楽死をめぐる葛藤へと進展していくわけだからなおさらのことだ。私としては、ヒロインが晴れてチャンピオンになった後の2人の関係を映画にしてほしかったなあ。

「おまえは私の親愛なる者、おまえは私の血」というゲール語が全編の隠されたキーワードになっていて、最後の最後で鮮やかに終止符を打つ。見事というも愚かなり。ヒラリー・スワンクモーガン・フリーマンが好演を見せている。


天も照覧カズ一撃みちのくに届けダンスダンスダンス 茫洋