蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

サンソン・フランソワEMI全集全36枚組を聴いて


♪音楽千夜一夜 第190夜

フランソワなどというても10人が8人は知らないだろうが、それでよいのである。1924年に生まれ1970年に卒然として逝ったこのドイツで育ったフランス人の飲んだくれピアノを聴けば、やれホロビッツ、やれポリーニ、やれアルゲリッチ、やれリヒテル、ほうやれほ、なぞと騒いでいる人の健全な音楽観が攪乱されるだろうから。

この人のドビュッシーやラベル、とりわけシューマンが深い詩想を湛えていることはどんな小品のたった6小節を聴いても分かるが、驚くべきことはあれほど軽薄なショパンの音楽、自慰してたった1分で精髄を放出して果てるあの西洋俳句のような痙攣音楽が、なんとも偉大な大芸術として現前することである。

あれあれ、私としたことが大変尾籠な比喩で失礼しました。別の紋切り型で換言すれば、超二流の音楽家の哀しさを慈しみと共感をもって演奏することができる世にも不思議なたった二人のピアニストの一人、それがフランソワなのである。

 練習大嫌いでミスタッチは水の中の水素より多く、気分屋で、いい加減でノンシャランのように見えて比類なく繊細で、誠実で、直情的で、霊感に富み、音楽の最も大切な部分に最短距離で到達する技術、つまりは天才をこのピアノの詩人は生まれながらにして持っていた。指揮者で言えばクナパーツブッシュかクレンペラーにちょいと似ているのかもしれない。


ポリーニアルゲリッチのショパンの中にギンギラギンにさりげなく存在しているのはえげつないポリーニアルゲリッチだけで、純正ショパンはひとかけらもないのだが、コルトーとフランソワの演奏の中には2流の芸術家ショパンの哀しさだけが明滅していて、それで私たちは不覚にもおいおい泣かされるのである。


わが講義欠席にして帰国する留学子女に告げることなし 茫洋