蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ホロビッツ爺の「独グラモフォン全集」7枚組を聴いて


♪音楽千夜一夜 第193夜


春って曙なら、ホロビッツって、顔も演奏も古狸だと思う。

ここにはその古狸がソニーから移籍して晩年に入れた7枚のCDが収められているが、どれもこれも不作為という名の作為に満ち満ちており、それが嫌になるとしばらく離れていたくもなるのだが、最近のピアニストのCDの作為がもっとあざといと気がつくと、またまた手に取ってしまうのです。

例えばカルロ・マリア・ジュリーニ&スカラ座と入れたモーツアルトのk488はまあ普通の出来だが、同時に収録されたk333は生気溌剌としている。この時の映像を見ると、古狸は「オケなんかうざったい。ソナタのほうがよっぽどいい」などと温厚なジュリーニに失礼なセリフをほざいて、収録寸前までk333をつまびいているのだが、その演奏のあざやかなこと。本番のテークよりもそっちのほうがよほどチャーミングで、そんなことはここに収められた「ホロビッツ・アット・ホーム」のビデオ収録の時も散見された。

同じライブでもかしこまった世紀録音ではなくて、ざっかけない試技の指のすさびに天才の霊感がほとばしる。モスクワでの一期一会のライブでシューマントロイメライを弾いたときに目をしばたたく中年の聴衆に感動した私だったが、映像なしの録音ではさほどの演奏とは思えなかった。かように音楽鑑賞には目が邪魔になることもある。


聖地につき犬の散歩禁ずという霊園糞が嫌なだけなのに噴 茫洋