蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

バガテルop142&ある晴れた日に 第95回


8月13日の土曜日に7回目の海へ行って、その翌日お父さん浮輪を潰して下さいと息子に言われて今年の海水浴はもう終わりと思っていたのに、今日突然僕海へ行きますと言いだしてまさか本気かよと思ったがやはり本気だったので午後2時半に3人で由比ヶ浜へ行き、浮輪は500円で借りて遊泳注意の海に浮かんだら、海面すれすれにボラの大群が酸欠状態のように大口をパクパク開けながら
「あ、また来たの、海来たの、あ今年の夏休み」
と輪唱したので、息子と一緒に
「あ、また来たよ、海来たよ、あ今年の夏休み」
と返歌してやると、彼奴等一斉に回頭してより一層波穏やかな逗子海岸の方へ行っちまいやがった。



日経の朝刊に小泉淳作氏の私の履歴書が連載されているが、この日本画家の絵が売れ始めたのはようやく50歳になってからで、それまでは明治チョコレートのデザインのアルバイトをしたり趣味だった陶芸で食いつないだりして亡くなられた奥様も大変だったらしい。

東京からやって来たお客さんのために娘さんに命じてそこらの田んぼにいるザリガニをつかめてきてテンプラにして食べさせたら淳作氏に叱られたらしいが、そのザリガニの泳いでいた田んぼの後に私のちっぽけな家が建っているのだ。当時はこの辺りは夏になると蛍が気味が悪いほど飛び回っていたそうだが、近年ではごくわずかな数であり、雲泥の差がある。

1995年の9月に亡くなられた奥様は風流な方で、近所の滑川の川っぷちに茂っているススキを摘んで自宅に生けておられたが、御主人の絵が売れるようになったのは彼女が亡くなってからのことだった。葬儀には同じ鎌倉に住む平山郁夫氏が訪れたそうだが、私はこの著名な日本画家よりも小泉画伯の作品を好む。



このススキ持って帰っていいかしら 蝶人