蝶人戯画録

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小津安二郎監督の「秋刀魚の味」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.162

妻に死なれた老齢の夫が、親思いの娘の労働力に頼る。あっという間に歳月が経つと最愛の娘は婚期を逸して、可哀想に愚かな父親の哀れな犠牲者になってしまう、という話はこの映画が製作された1962年くらいまではよくあったが、平成の御代では絶滅寸前ではないだろうか。

家長や課長や年長者がそれなりに周囲の人々から敬われ、丁重に取り扱かわれた時代は完全に平安ルイ王朝の昔となり、これから急激に年老いて心身いたるところの障碍者となって棺桶に片足を突っ込んでいく我らを介護してくれる若い世代なぞもはやいずこにも見当たらず、一日一食の秋刀魚の夕餉を骨腸もろとも喉奥に詰め込みながら「ああ秋刀魚秋刀魚苦いかしょっぱいか」とついついツィッタと垂れ流しながら、未練たっぷりにこの世に別れを告げていく。

ラストの台所の隅でかがまる老残の父親笠智衆の姿は、この映画を一期にみまかった小津監督の姿でもあり、後続の我等の姿でもあるのであるのであるん。

それはともかく文金島田の花嫁衣装に身を包んだ岩下志麻が父親の前に正座して礼をいうシーンは何度見ても美しく悲しくて涙が出る。ここでシャイな小津は「お父様長い間お世話になりました」という決まり文句を言わせたくなくて、笠の父親に遮らせる演出がおしゃれです。もっとお洒落なのはこの映画の美術と衣装と色彩設計で、どのワンショットシーンをとっても民家や料理屋や商店街の構成とカラーコーディネートは出色である。

小津は、笠とその友人たちを使って、戦中派生き残りのそれなりに優雅な暮らしぶりを、笠の息子の佐田啓二とその妻の岡田茉莉子を使って、最新型の公団住宅に住んでゴルフを楽しむ高度成長期のサラリーマン夫婦の典型をあざやかにすくい取ってみせるが、前者の貫録勝ち。丸の内の商事会社の重役である彼らは、どうみてもあんまり仕事はしていないのに、毎晩のように料理屋で酒を飲んではおだをあげている。じつに優雅で羨ましい。

そこに鳴るのはいつも斎藤高順の能天気でしんみりした劇伴で、じつは私はこの軽快にして哀愁のある音楽を聴きたいがために小津の映画を見るのです。

秋の蚊を柔らかく叩いて殺す午後 蝶人