蝶人戯画録

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国立新美術館の「セザンヌ展」を見て


茫洋物見遊山記第85回

久しぶりのセザンヌだがちっとも心に響かなかった。

この画家はあくまでも理知の人。山や画廊主やリンゴを前にしてキャンバスの上でそれらを一度解体してから、ああでもない、こうでもないと組み立てることに腐心する。

それが悪いというのじゃない。その試行錯誤が稔りにみのって後期印象派から構成主義キュビズムとやらへの突破口を切り開いたなぞと美術史家が高く評価しているようだが、だからと言って面白くない絵は面白くねえと言おうじゃないか。

私は彼が糟糠の妻を描いた縞模様のセザンヌ夫人(横浜美術館蔵)除いてただの1点も感動しなかった。別に他の海外作品など要らなかったのである。

ああ、冷徹の絵画王よ。貴公の大芸術は遂に余の趣味には相容れぬ塵の山さ。我が家の狭い庭に眠って腹から大島桜を咲かせてくれている愛犬ムクに呉れてやろうとまでは思わぬが、盗んでも持ち帰りたいと願う作品の巡り合えない展覧会ほど虚しいものはない。

かてて加えて本展の照明は最悪じゃ。上方からのスポットライトが画面に乱反射して見難いことこの上もない。この節の展覧会はやたら細かなテーマで会場を細分化して編集することに夢中になっているようだが、そんなことは迷惑千万。すべて製作年代順に普通に陳列せよ。いったい学芸員はどういう仕事をしているのか。

なお本展は6月11日まで。他の地方での開催は不明です。


100点のセザンヌより1点のアンリ・ルソー 蝶人