蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

プルースト著・吉川一義訳「失われた時を求めて4」を読んで

kawaiimuku2012-08-16



照る日曇る日第531回

全14冊の文庫本の4冊目に当たる本巻は、第2編「花咲く乙女たちのかげに2」第2部「土地の名―土地」の全訳です。

パリを離れた主人公は、祖母や女中のフランソワーズと共にノルマンディー海岸の保養地バルベックにやって来て華やかな夏の避暑生活を享受します。

プルーストの分身である若き主人公は、やはり都会からやって来たアルベルチーヌやアンドレ、ジゼルなどのうるわしき乙女たちと出会い、そこで男女の駆け引きが始まるのですが、さすがにプルーストともなると、その道行は一筋縄ではいかない。

群生する様々な薔薇のような少女たちから徐々に朝霧のヴェールが取り払われると、おもむろに彼女たちの面差しや姿態、わけても人差し指の美しさやふっくらした柔らかさなぞに光が当てられ、一人ひとりの官能的な、そして知性的な特徴が微細に描写されていきますが、この様相をある詩人は、a rose is a rose is a rose is a roseとはしなくも歌ったのでした。

対象化された少女を対象化する自意識の微分積分、愛の結晶作用に関するスコラ的な思弁とコルクルームの内部の偏奇的な生の形而上学が、浜辺に打ち寄せる波のように果てしなく繰り返されるかと思うと、若者らしい常套手段に走った主人公が、思いびとアルベルチーヌをベッドに押し倒そうとして、思いっきり非常ベルを鳴らされる。

好きな女に一指を触れるまでに数年と数百ページを閲してはばからないのがプルースト的恋愛審美学の真骨頂ですが、またとなく主人公の欲情をそそる美少女を数ブロック追いかけ、やっとその顔をのぞきこむや、なんとなんと年老いたヴェルデュラン夫人だった、という逸話こそ、本巻の要蹄でありましょう。


二列目の朝顔が咲かぬもどかしさ 蝶人