蝶人戯画録

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佐藤賢一著「共和国の樹立」を読んで

kawaiimuku2012-11-03



照る日曇る日第546回

1792年8月10日の蜂起は奇跡的に成功し、ここでサン・キュロット階級は一気に巻き返したが、続く9月は法を無視した虐殺の季節だった。ダントンの演説から始まった反革命派狩りではモッブと化した民衆が敵対的な政治家たちを見境なしに血祭りに上げる。革命とは今も昔も問答無用の敵の殺戮なのである。

その後サン・キュロットたちはやっさもっさの挙句にようやく王制を廃止し、共和制を樹立したものの、国王ルイ16世をどう裁くのかという難問に直面する。有罪だからといって市民ルイ・カペーを死刑に処していいものだろうか、とさすがのダントンやロベスピエールも胸に手を当ててためらうのだ。

そんななか、中庸のジロンド派に押されに押されていたジャコバン派が息を吹き返したのは、田舎者の最年少議員サン・ジュストの「人民の敵であり虐殺者、簒奪者、反逆者である王は仏蘭西に無関係の外国人として即刻裁かれるべし」という洗練されない論理による問答無用のどんくさい演説からだった。

衆寡敵せずというのに、議会で少数派の一議員の名演説が中間派のみならず多数派を論理的に圧倒して公論が逆転するなどわが国では到底考えられないことだが、それが18世紀の仏蘭西では実際に起こったのである。革命の進行過程では、現状を固定せず無理矢理敵に向かって前進しようとする勢力が優位に立つことが多いが、これがまさにその時だった。これ以降ジャコバン派の盟主ロベスピエールさえももはや過激派の暴走をとめることは出来なくなり、革命の本質は日を追って見失われてゆくのである。

 パリ大学医学部教授ジョセフ・イグナス・ギヨタンによって開発された最新式の処刑機械ギロチンによって処刑されてゆくルイ16世の最期の姿はあまりにも痛々しく哀しい。彼は教授に助言して三カ月状の丸いデザインであった刃を鋭い3角形に修正したギロチンで首をはねられたのであった。
 
革命の美名の下に屠られし草莽の民何処へ消えしか 蝶人