蝶人戯画録

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古井由吉著「古井由吉自撰作品三」を読んで

kawaiimuku2012-11-16


照る日曇る日第549回

全共闘運動華やかなりし頃は、政治思想の共同体の内部やその周辺で、メンバー相互の性的な共同性がアメーバのごとく緩やかに拡張されていた。それは戦前の日共細胞のハウスキーパー制度ほど固定的なシステムではないにせよ、同一の教理や思潮を信奉する仲間たちの間には、所謂フリーセックスにまでは至らなくとも、ある程度の性的親和性をお互いに交わし合う自由な風土というものが自然に存在していたと思われる。

 本巻に収められた「櫛の火」は、ちょうどその時代に青春を散らした主人公のその後の白々しいまでに荒廃した生の軌跡を、二人の女性との性的、実存的交渉をつうじて赤裸々に描き切った大作である。

バリケードの中のノンポリ過激派四人組の紅一点弥須子に突然死なれた主人公は呆然自失のまま大学を中退しリーマンに転身するが、そんな彼の耳朶を撃つのは「また抱かせてあげるね」という弥須子の最期の一言だった。

やがて主人公の前に登場する年上の人妻柾子の生に行き悩んだ挙句の性的波乱を著者は舌なめずりしながらこれでもかこれでもかと執拗に描写する。一本の筆を以て一人の女の実存を捉えきろうと真正面から挑む著者の異常なまでの努力は、小説の最後の最後でついに酬いられ、読者は究極の愛によって結ばれた二人の姿がとうとう血と肉を得る。そして小説に許されるその小さな奇跡を目の当たりにしながら、彼らの明日に幸多かれ、と祈らずにはいられないのである。

父母すべて喪いし二人の秋の旅 蝶人