蝶人戯画録

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中上健次著「火まつり」を読んで

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照る日曇る日第620回

 

これは著者がしばらく居住していた熊野市二木島町で1980年1月31日に起こった一族7人殺人事件を受けて書かれたそうで、実際に物語はこの悲劇を象徴する7発の銃声と共に幕を閉じている。

 

しかしながらいくら精細にこの小説を読みこんで、その主人公である達男の思藻と行状を追ってみても、彼がいったいどうしてそのようなむごたらしい凶行をおかすに至ったかは、実際に起きた事件の動機と同様さっぱりわからず、そういう心理的な謎とき要素についてはまったく解明されていない。

 

けれどもそのような瑕瑾があるにもかかわらず、往年のお大尽の唯一の末裔であり貴種でもある主人公が、二木島のみどりの海と山との交感の内部生命に生きる天然児であり、神武天皇上陸の場所という神々の舞台にふさわしい一種の霊性を天から賦与されていた半神半獣半人的な存在であることは、彼を兄のように慕う弟分の良一の眼をとおしていきいきと描かれており、この点にこそ本作品の最大の魅力が存する、というてもけして過言ではないだろう。

 

 

戯れに北枕でする昼寝かな 蝶人