蝶人戯画録

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エドワード・ズウィック監督の「ラストサムライ」をみて

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闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.55

 

 

もはや本邦には武士道のかけらもないのに、無邪気な外国人から富士山、芸者、蝶々夫人のノリで「あこがれ」られると、尾てい骨や前立腺のあたりがむず痒くなる。最初に登場した時の渡辺謙の祈りが、仏教のように手を合わせずにクリスチャン流に両手を握っている場面で、もうアウトである。

 

渡辺謙がどこか西郷南洲を想定するような役柄で明治新政府と闘い、彼の生き方に共鳴して「侍」となった米国からの流れものトム・クルーズが「ラストモヒカン」ならぬまさに「ラストサムライ」として超人的な大活躍をみせる。

 

映画の見所は近代的武器を完全装備した政府軍と前近代的な武士たちの武装集団との戦闘シーンであるが、いくらなんでも大砲や機関銃を連発する政府軍に弓矢と刀だけで戦う

西郷軍があんなに善戦力闘できるわけもないだろう。

 

 しかしちょっと面白いのは、ラストで若き日の明治天皇が登場して奇妙な振る舞いを見せること。西郷軍の悲劇を知った彼が、いったん維新主流派に対して与えた近代化路線をひるがえし、米国との平和条約だか協定だかを廃棄して、旧き武士道精神に立ち返ろうとする気配をみせたりするのは日本映画では絶対におめにかかれない光景で、天皇をふつうの登場人物として描こうとするハリウッド映画の精神の健康さを感じた。

 

 

 

秋祭り神輿の太鼓は変拍子 蝶人