蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第1回

f:id:kawaiimuku:20131127160202j:plain

 

西暦2013年文月蝶人狂言畸語輯

 

 

親愛なる全国の学友諸君、メリー・クリスマス! 

今日からもうひとつ新シリーズを始めました。ご笑読くださいな。

 

 

築30年を超えた安普請の床を歩くと、いたるところでベコベコ凹む。そのうちにズビズビズバズバ踏み抜くのではないかとおそるおそる歩いているのです。

 

ベートーヴェンはベートーベンじゃないだろう。ヴェルディはベルディじゃないだろう。ライヴァルはライバルじゃないだろう。

 

子供のいない人は、持たない人よりも将来に対して投げ遣りであるような気がしないでもない。

 

教育の基本は、死と生についていかに臨むかを教えることにある。とすれば、男女七歳にして切腹と自死の作法を体得することが、ひるがえって充実した豊かな生への出発点となるのではあるまいか。

 

未来に向かって進む。しかしそれは死に向かって進むことでもある。

 

野坂参三「自国を守るための戦争は正しいのではないか?」

吉田茂「否、正当防衛や国家の防衛権による戦争を認めるということが、結局は戦争を誘発するのである」(森達也氏の発掘記録から)

いたく共感。敗戦直後の保守は、共産党より過激だった。いな、まっとうだった。

 

政治を軽蔑するものは、軽蔑すべき政治しかもたらさない。トーマス・マン

 

われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない。ラ・ロシュフコー

 

予想されていたこととはいえ、まことに残念な結果だった。いずれにせよ私たちは、この敗北点から立ち上がってふたたび前進しなければなるまい。明日は明日の波が来るのだから。

 

たった1票ではある。しかし、それを誰からも強制されずに、みずからの意思で、自由に行使できる権利の素晴らしさ、そして大切さを思う。

世界の多くの国で、それが許されてはいないという事実を思えば、なおさらのことだ。

 

明日は楽しい選挙の日。今回ほど多種多彩なメニューが揃ったことはない。よりどりみどりなり。それでもどうしても選べないなら自分の名前を書けばいいのだ。いわば「楽しさの2乗」である。

 

「ねじれ」の解消より恐るべきは、安倍自民とそれに加担する右派の暴走である。彼らの勝利が天皇元首制への道をひらくとするなら、衆参のねじれなぞ永久に続けばいいのだ。

 

凡人小事に生き、凡人小事に死す。

 

いまおそらく日本で一番幸福なのは安倍晋三という人物だが、この男がまもなく我々と我々の国を不幸にするのである。

 

「幸事門を出でず、悪事千里を行く」宋の孫光憲の『北夢瑣言』

 

霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き ばせお

 

世阿弥の作と推定される能曲「白楽天」では、唐から日本の偵察にやって来た白楽天を、住吉明神を先頭に伊勢、石清水、賀茂、春日、鹿島、三島、諏訪、熱田、厳島などの諸神が一致団結して吹き返す。これぞ安倍自民党推薦・全国民必見の熱血愛国ドラマではないだろうか。

 

松虫の声、りんりんりん、りんとして夜の声、冥々たり。金春禅竹「松虫」

 

東京の石原に続く猪瀬、大阪の橋下、名古屋の河村、そして国の安倍、いずれをとってもどこか精神の洗練と晴朗さに欠けた軽薄で下品な連中であり、こういう「薄暗いにこごり」のごとき異様な人物を選びとるとは、さすが目が高い選挙民である。

 

かの三矢作戦と違って一本しかない癖に莫迦の一つ覚えのように「三本の矢」と喚かないで、たまには気のきいた警句のひとつも吐いてみなよ、平成の毛利元就くん。

 

憲法第9条戦争放棄条項とこれを踏まえた前文は、恒久平和を希求する諸国民の究極の理想と人類の見果てぬ夢を、ベートーヴェンの「第9」のように美しく、激しく歌い上げているのだが、この捨て身の勇気と究極のロマンチシズムに共感できない「現実主義な人」にはついに無縁のアリアなのだ。7/15

 

世界に国と憲法多しと雖も、紛争解決の手段としての戦争はもとより武力威嚇と行使まで禁じている例を私は知らない。もとより日本人は人類を代表する理想主義者などではなかったが、絶対平和を希求しているこの憲法の上質の夢想がついに分からなかった。猫に小判、豚に真珠といううべきか。7/16

 

戦争、震災、原発。いつも我々は事柄の本質の解明や責任の追及などどうでもよく、風のまにまに無節操に流されてゆく。そう、日本人には諸事万端の規範としての憲法なんて要らないのかもしれない。英国では憲法はないがちゃんとやっていることだし。7/16

 

かわいいのがファッション!? 冗談じゃないそれはファッチョン。ほんとのファッションって凄えもんなんだぜ

 

毎晩夢を見ている。その大半はどうでもよい内容だが、たまにとうてい口にできないような夢を見ると、おのれがおのれに対して懐いているイメージが音を立てて崩れ落ちるような衝撃に見舞われるものだ。13/7/9

 

ローリング・ストーンズって、結構大味なバンドだ。聴き続けていると、ミック・ジャガーの顔がジェーン・バーキンのそれに重なり、どれもこれもみな同じような音楽になってきて退屈してしまう。

 

私は鷹揚な人間なので、たいていのことはニッコリ笑って受け入れるのだが、この度の軍部によるエジプト大統領の解任、安倍自民党の選挙公約、東京への五輪招致運動、鎌倉市の「入所障がい者に対する家賃補助ゼロ」に対しては断固反対するものである。

 

今日という日はもう2度と来ない特別の日だからできるだけ有意義に暮らそうとまなじりを決するのだが、結局は他の日と同様たいしたことも出来ずに終わってしまうのだった。7/5

 

なおも生き延びていかねばらならぬので東洋英和という大学に非常勤の口を売りこんだら、学長の村上陽一郎という方から情理を尽くした万年筆の直筆が返って来た。断り状を頂いて感動したのは生涯で初めてのことなり。7/6

 

対象に向き合うと、心身を消耗するが精神は高揚し、それなりの自己満足が得られる。対象から逃亡すると、心身は楽になるが心の中に負い目が残る。13/7/4

 

ブログやSNSを通じて日々もっともらしい発言を続けていると、それに対する騒々しい反響と軽薄な「頷き合い」を通じて、己の社会的存在が日々強化されてゆくように錯覚しがちだが、実際はその反対で、その人は発語するたびに己の血と滋養と精力をヨーダのように失い、ますます衰え、孤独にうち沈むようになるのである。13/7/4

 

クラシックの専門誌「レコード芸術」6月号で、宇野功芳が「日本の国体を心から誇りに思わなければならない」と書いているが、この人はそもそもこういう「戦前臭い」人物だったのかしらん。国体だとさ。

 

平成の美女と野獣、それは清原夫妻のことだ。

 

1本のヒメジオン、1羽のヤマトシジミのやうな世界一弱い国をめざしたいものだ。

 

小さなシジミチョウの中でももっとも地味で、しかしよく見ると繊細で美しい品種に「ヤマトシジミ」の名を冠した人の知性を称えたい。

 

1111」という車体番号は嫌みだ。

 

多重露出技法で知られるパオロ・ロベルシというパリ在住のイタリア人カメラマンにふぁっちょん写真の撮影を頼みにいったことがある。カルロ・ジュリーニブラームスについて盛り上がっていたら、彼のヴェトナム人の助手が私を手招きして「師匠の半額で同じ写真を撮ってみせる」と売り込まれた。

 

平和、平和と誰もが言う時には、きっと戦争がある。アンリ・ジュリアール

 

戦争は癌で、それと見える前から致命的で、犠牲者が病気を自覚する前に犠牲者の運命を握っているのだ。エリオット・ポール

 

絵や書を上手にかこうとすれば品が下がる。下手に書こうとすれば下手になる。

そこで上手下手を忘れて無念無想の無手勝流でかけばいいのだ、と思い当たるまでに、およそ半世紀が過ぎ去っているというわけだ。詩も短歌も俳句もおなじことなり。

 

ツイッターで、フォロワーは多いけれどフォローはゼロの有名人がいるが、こういう人は傲慢不遜である以上に、現代社会と他者からの声に耳をふさいでいる気の毒な人である。

ヨハネの首がお盆に盛られたような月が不気味に輝く夜、無数の星々に混じって星と同じくらいの大きさのホタルたちが夜空に舞っている。

 

毎朝サンコウチョウのこの世のものとも思えない変幻自在な囀りで眼が覚める。

今朝は三羽の揃い鳴き。私の大好きなマリア・カラス美空ひばりとビルギッテ・ニルソンよりも素敵だ。13/7/31

 

 

なにゆえに脳しょうぐあいの君だけにピアノが弾けるのとても不思議だ 蝶人