蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第4回

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西暦2013年神無月蝶人狂言畸語輯

 

 

1匹の動物として生まれ、1匹の動物として死んでいく。それでよいではないか。10/31

 

この国で生きていると、だんだん息苦しくなってくる。10/30

 

仏教の「変成女子」が大本教の「変性女子」になり、それが女男になり肉食系女子になった。10/28

 

「ええ加減にせえよ」

「だいたいでエエンとちゃう」

世の中のことはこの2つで済んでしまう。

 

メルケルおばさんの携帯を傍受したり、無人戦闘機で見境なく人殺ししたりする偉大なる同盟国のようなことを、及ばずながらこの国の「軍国主義者な右翼」も国民には内緒でやってみたいんだな。

 

女子のボーカルで勝手に男子になって「ボクは」なんて歌うな。ワタシを主語にして歌いなさい。

 

自民党が狂奔している「秘密保護法案」は、彼ら自身の手足を縛り、彼らの個人的な「秘密」はもとより、党の看板である「自由」も「民主」も激しく毀損させる稀代の悪法なのだが、愚かなマゾ議員たちはそのパラッドクスを知らない。10/23

 

短歌は上手な方が上等だという意見が大半どころか全部なのだろうが、私は上等も結構であるが下等も悪くない、という超少数意見を頑なに持っている。歌を上手に歌おうとしないことによって、却ってその人とその歌の真実が露呈されることのほうが多いのである。10/22

 

今日の仕合わせ。柱時計が落ちたが誰も怪我しなかったこと。家族の誰もが交通事故に遭わなかったこと。地球に巨大惑星が衝突しなかったこと。10/22

 

プロ野球の試合のすべての投球を撮影し、あとから新聞掲載用のカットを選ぶ仕事なんて、僕はやりたくないな。

 

ラムボオ 印象的情感+自己批評/ヴェルレエヌ 情感的印象+生きることについての心懸 中原中也

 

あの鳴り物入りの気違いじみた応援を止めれば少しは強くなるだろう駄目トラ。

 

すべてラムボオ以前の所謂自然詩人とは、風景の書き割り屋なり。中原中也

 世界に詩人はまだ3人しかおらぬ。ヴェルレーヌ、ラムボオ、ラフォルグ。3人きり。中原中也10/18

 

「悪魔よ、退け!」塩見牧師

 

モザールがあれば、エドガー・ヴァレーズは要らない。10/15

 

従来の古典的な意味合いでの詩の領域に安住することなく、詩をその内容と形式の両面にわたって、なんとしてでも拡張しなければならない。10/13

 

万葉から古今、新古今への歩みは必然的なものであったとしても、それは詩歌の黄金から銀、銀から銅の時代への急速な退嬰の道でもあった。そしていま木からプラステイックの時代の中で呻吟疲弊する貧血症の我らは、たまには時代を遡行してその源流へと回帰して霊水を啜る必要がある。10/13

 

だらりと腕を垂れ、深呼吸をひとつしてから眼を閉じると、これまでの人世の疲労と悲哀が、瞳の裏にぜんぶ積み重なっていることがわかった。10/13

 

静かに私は途方に暮れたい。前田智

 

「八百屋さん」や「魚屋さん」はともかく、なんで作家を「作家さん」と呼んだりするのかしら。作家は作家でいいのだ。ただの作家なんだから。

 

即物主義には言葉は同じでも、ただもの主義と直観精神象徴主義2つがある。

 

クラッシック音楽におけるノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)的な演奏は、トスカニーニからカラヤンに引き継がれ、それが現代の演奏の主流とされてはいるが、その行詰まりに対する反発が、フルトヴェングラーを追慕するティーレマンなどの浪漫的な演奏であろう。恐ろしく幼稚であるとはいえ。

 

しかしフルトヴェングラーを追慕するティーレマンバレンボイムも、一代の天才カルロス・クラーバーには遠く及ばない詰まらない音楽を大量生産しており、彼らの志と彼らが作りだす音楽の大きな落差には、失望と落胆のほかはない。

 

即物的なマゼールアバドムーティ、小澤、それよりもっと悪質な機械的機能主義音楽を演奏するドダメルやダニエル・ハーディングなどによって汚染された耳は、フルトヴェングラーチェリビダッケワルターなどのロマンチシズムで除染するより正常化の方策はないだろう。

 

「日経歌壇」に入選しても与えられるのは名誉だけであるが、「朝日歌壇」では掲載の謝礼に替えて10枚の官製葉書が進呈され、今後の投稿が促される。さすがは天下の朝日新聞だが、「先生の添削が入る場合もあるので了解せよ」というのはいかがなものか。素人独自の下手うまの良さを採るのが、投稿歌壇の使命ではないだろうか。

 

心優しき魂の持主への相次ぐ褒章には誰も反対しないし、出来ないが、それにしてもこの微かな異和感は何だろう。胸に手を当て、しばし目を閉じて考えよ。果たして故人はそれを望んでいるだろうか?おお、卑しき政治家どものげにおぞましき心根よ。10/4

 

それはそれなりの歴史と伝統があるには違いないけれど、冷静に考えれば1神社の1行事である。皇族や高級公務員が国民の税金を使って団体で参加するのはいかがなものか。私のようにせっせと貯金した自費で1個人として参拝しなさい。10/4

 

時々の政府は次々に交代してゆくかりそめの一機関に過ぎない。だからたとえ現今の政府が強大な権力を保持している場合でも、憲法や軍事、人権、教育などの重要課題について世論が大きく分裂している際には、その一方に加担せず、「曖昧な中立性」の立場を堅持しながら、「非決断の緩衝地帯」を残すことが後世への責務なのである。10/1

 

ロッシーニの「湖上の美人」は、もしかすると彼の最高傑作かもしれない。彼のクレッシェンドと物語の劇性が最良の調和を醸し出している。10/1

 

 

 

なにゆえに「人間の屑」と決めつける君がそうかも知れないのに 蝶人