蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

小津安二郎監督の「彼岸花」をみて

f:id:kawaiimuku:20140307123342j:plain

 

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.632&鎌倉ちょっと不思議な物語第312回

 

 

小津安二郎の生誕110年を記念して鎌倉駅前の旧公民館で彼の「彼岸花」が上映され超満員の盛況でした。

 

佐分利信田中絹代の長女、有馬稲子が手違いから親の許しなしに佐田啓二と一緒になろうとするところから巻き起こる騒動を描いたこの監督の定番である父親と娘の嫁入り話ですが、毎度おなじみのこのテーマからなんと生き生きとした人物像を小津安二郎は引き出していることでしょう。

 

上映に先立って小津作品の名プロデューサーであり、この映画の原作者里見弴の四男でもある山内静夫氏より「小津は脚本よりも人物の個性を表現することを重要視し、上品で上質な映画を作ろうと日夜心血を注いでいた」という貴重な証言がありましたが、まことにその通りの見事な出来栄えで、広島行きの電車で佐分利信が嘯く「青葉茂れる桜井の」には私たちの人世の喜びと悲しみが込められているようでした。

 

山内氏によれば小津は脚本のないエッセイのような映画を撮りたいと言っていたそうですが、60歳のちょうどその日に世を去ったこの名匠に神様があと10年の余命をさずけてくだされば、あれほど脚本を大事にした映画作家が夢見た究極の「脚本なき映画」を見ることができたかもしれないと思ったことでした。

 

彼岸花」と銘打ちながらその花が出てこない本作ですが、いつもの常連の原節子が出ない代わりに、妖艶なまでに美しい山本富士子、その母親の浪花千枝子、もしかしたら本邦の女優の中で私が一番好きかも知れない久我美子、加えて笠智衆中村伸郎、北竜次(この人も好き)なども総出演。

 

音楽はもちろん監督の要望に応えていつも陽気でしんみりとした「晴れの日の音楽」を鳴らして定評ある斎藤高順ですが、築地の聖路加病院の教会堂の映像に、なんとモーツアルト最晩年の宗教曲アヴェ・ヴェルム・コルプスk618を歌わせるという離れ業をやってのけています。

 

 

なにゆえに日経歌壇から身を退くや短歌史最後の巨塔岡井隆 蝶人