蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

夢は第2の人生である 第11回

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西暦2013年霜月蝶人酔生夢死幾百夜

 

 

久しぶりに音響の不気味なサントリーホールへ行ったら、背中どころかケツ丸出しの超妖艶女流ピアニスト、カティアブニアティシヴィリ嬢が髪振り乱して演奏していたので、超興奮した私が舞台に上がってバックからクイクイ犯したのに、平然とリストを弾いているのだった。11/30

 

みなし子ハッチになってしまった私の遺産を狙って、親戚の者たちがいろんな悪さや嫌がらせをしていたが、私はじっと我慢を続け、いずれは彼らを見返してやろうと虎視眈々とその機会を窺っていた。11/28

 

お尋ねものとして放火、窃盗、恐喝、婦女暴行などをやりたい放題の乱行を繰り広げていた私。とうとう十手のお縄を頂戴して市中引き回しの上磔となったが、なんの後悔もなかった。11/28

 

私を「どうしようもないデクノボウで世界一卑怯な奴!」と罵ったその最高権力者めがけて突進した私は、その憎らしい顔を靴で踏みにじり、足蹴にして川に突き落とすと、まわりの連中は、あっけに取られてお互いに顔を見合わせるのだった。11/27

 

ダイアナ妃ともども我々は山中で孤軍奮闘したのだが、多勢に無勢武器弾薬も尽きたので、次第に前線から後退を余儀なくされていたが、そのときどこからともなく飛来した敵弾が、しんがりの中尉の頭を貫通したので、彼の頭は柘榴のようにはじけた。11/26

 

いろんなメディアで短歌や俳句を募集しているというので、どんどんネットで応募していたが自宅の電話番号を間違えたまま投稿してしまったことに気が付いた。自分としてはかなり自信作だっただけに、悔しいというか、耄碌したというか眠っていながら目の前が暗くなる想いだった。11/25

 

マムシは危険だし好きではないが、こいつに出会うと捕まえてすぐに叩き殺すか、体調が良く元気な時は、彼奴の頭を口の中で噛み切ることにしている私だった。11/24

 

海に向かって開かれた細長い洞窟が、私の住居だった。「ここは狭いから、余計なものは全部捨てるんだ」と隊長がいうとおりにしていたのだが、次々に宅急便がいろんな物を送り届けたので、すぐに手狭になってしまった。11/23

 

私たちはその海岸で多くの魚を捕まえたが、隣の北朝鮮の倉庫には魚どころかなにも置いてなかったので、彼らを魚料理の宴に招いたのだが、誰もやってこなかった。11/22

 

戦争の捕獲品をラクダに乗せて帰国した私たちだったが、その配分を巡って仲間がいちゃもんをつけてきたので、私は頭にきて「それなら全部お前たちにくれてやる」と怒鳴って席をたった。11/20

 

展示会が終わったら好きなCDを貰っていいといわれた」とイケダノブオがいうので、私は「誰から?」とにらみをきかせ、それらのCDを全部ゼンタロウに渡して「お前が入用な奴を抜いて残りを俺に返せ」と冷たく言い放った。13/11/19

 

出版社の入社式の夜に出来て仕舞った知花クラクラ嬢は美術雑誌課に、私は文藝誌課に配属された。広大な編集部の真ん中にビオトープの池があり、昼休みに私が茶色い亀を放り込むと、大口を開けた鰐がたちまちそいつをかっ喰らったので、クラクラ嬢は失神してしまった。11/18

 

地方から出てきたばかりの私が、どの列車に乗ればいいのか東京駅で迷っていると、いかにも洗練された親切な青年が、「これに乗ってここで降りなさい。僕も一緒に途中まで行きますから」と言ってくれたが、発車しても姿が見えないと思いきや、ホームの先端で飛び乗って来た。11/17

 

その若い男の本当の職業は実は投資家で、「2千万の原資でたちまち2億2千万円を手にしたことがあります。もしあなたがお金に困っていたら私がなんとかしてあげますからそう言ってください」と朗らかに語るのであった。

 

「どんな難しい命題でも即座に読み解いてみせましょう」と自信満々で請け合うので、私が気になっていた禅の公案の意味を問うと、その男は私からかなり離れた場所にどかりと腰をおろし、無言のまま部厚い唇をゆっくりと動かすのだった。11/17

 

信じなければならないのにどうしても信じきれない仲間に対する乾坤一擲の犠牲的精神を発揮して、私は腹腹爆弾のスイッチをその仲間に託し、権力の中枢部へと単身突入していった。13/11/16

 

突然変異が起こったのか、従来の日本人が備えていた構成要素以外の遺伝子を持つ子供たちがどんどん生まれるようになってしまったので、全国民がパニック状態に陥った。11/15

 

街の外れの公園で野球が始まった。バッターの私が強い打球を放つと1塁手のノノヘイが球を後逸したので、私は溝蓋のベースを蹴って全速力で2塁に向かったが、いくら走ってもベースがないし2塁手もいない。仕方なく後戻りしたらノノヘイにタッチされて、アウトになってしまった。11/14

 

みたこともない美しく巨大な蝶が止まっていた。鮮やかな紅色の羽根を静かに動かしている彼女の胸を、右手の親指と人差し指でそっと挟んで、三角形の硫酸紙に収めようとしていると、翼の中からやはりみたこともない美しい中小2匹の蝶が飛びだした。11/14

 

東京駅の近くでまたしても私は迷子になってしまった。行けども行けども横須賀線のホームに辿り付けず、おまけに私は自転車に乗ったままなのである。ようやくたどり着いた改札口の若い女性の前で法外な運賃を要求された私は、ブチ切れた。11/13

 

私たち南軍と東軍は激戦を繰り広げていたが、武器ではなく野球の試合で決着をつけようということになり両軍18名の選手が白熱のシーソーゲームを展開したが、9回裏の最後の攻撃で私の一打が劇的な本塁打となりついに結着がついたのだった。11/12

 

こうして私たちが東軍を従えていた間に、強大な北軍は西軍を屈服させ、一路南下していたが、単身丸腰で敵地に乗りいれた私の無益な戦いはやめようという提言が受け入れられ、しばしの平和が訪れたのだった。11/12

 

授業をしようといったん教室に入った私が、忘れ物をしたので引き返して戻ってくると、そこは文化祭の準備をする学生たちで超満員だった。机の上に立ったカトリーヌ・スパーク似の長身の学生から「センセ、ちょっとこのスカートの長さを見て下さい」と頼まれたので私は赤面した。11/11

 

なんのこれしきの軍勢あっという間にねじ伏せてやる、といきまいて敵陣に襲いかかった我が軍であったが、圧倒的な数を頼みにしゃにむに攻めに攻めても強固な砦を落とせず、どんどん死傷者が増えていくのだった。11/11

 

私は甘い顔をしたドライバー、通称「甘顔ドライバー」なのだが、レースの途中でいつもガードレールに突っ込むので、協会ではわざわざ私のために「甘顔ドライバー・スイート・スポット」という特別コーナーを作ってくれた。11/9

 

若い女性ばかり100人くらいが住んでいる女語ケ島にでは毎月リーダーが替わってうまく運営されていた。138/11/8

 

私は何週間もかけて、南北ベトナムやアフリカの僻地を行き来している。はじめそれは仕事だったはずだが、いまではそれは自分の趣味というか、それなしではおのれを制御できない生き方の基軸規範のようなものになってしまい、いったいいつになったら故郷に帰れるのか見当もつかない。13/11/7

 

懐かしい故郷を離れ、遊撃隊の隊長として戦場に出てから永い歳月が経ったが、久しぶりに国境の南のわが牧場に戻ると、真っ先に私を見つけた愛犬ポスが猛烈な勢いで私の胸に飛び付いたので私はその場でひっくりかえってしまった。11/6

 

急に戦争になってしまったので、交通網も大混乱している。ようやく新横浜までやって来たのだが、ホームに止まったまま新幹線は定時になってもさっぱり動かない。もてる限りの疎開用の荷物を車内に担ぎこんだ乗客たちは、疲れ切った表情でねむりこけていた。13/11/5

 

1台の砲車と1個小隊を率いた私は、敵軍が占拠する皇居目指して突撃を敢行したが成功せず、敵の砲撃で壊滅的打撃を蒙りながらもなおも旺盛な闘志を燃やしていた。13/10/5

 

高台にある住宅街の広場の一角に住民たちが購読しているいろんな新聞が並んでいて、住民たちはそれらを手に取りながら、ゆっくり読んだり、感想を述べ合ったりしながら、日曜の朝のひとときを楽しんでいました。13/11/3

 

私と近所のおばさんたちが立っている道路の目の前でタクシーが停まり、お向かいの寺尾さんの奥さんが降りるときに、座席に落ちていた千円札を「忘れ物ですよ」といって運転手に渡したので、それを見ていたおばさん連中は「偉いわねえ」と感嘆していたが、私ならそうはしないなと思った。13/11/3

 

大阪での打ち合わせの帰り、電車の中でまたしても例の女が「あたしもうすぐロスに行くからあんたにあげてもいいよ」と囁くのだが、私はその手は桑名の焼き蛤と思いつつ急速に暮れなずむ十三の夕景を眺めていた。13/11/2

 

草原に火を放たれたために、黒い煙と紅蓮の炎が私に向かって押し寄せた。もうどこにも逃げ場はない。完全に退路を断たれた私は、いよいよその時が来たと覚悟を固めた。13/11/1

 

 

 

なにゆえにしょうぐあいしゃのむすこをもつきみがしょうぐあいしゃになってしょうぐあいしゃのははをかいぐおしているそれもしょうぐあないことなのか 蝶人