蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

夢は第2の人生である 第12回

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西暦2013年師走蝶人酔生夢死幾百夜 

 

 

久しぶりに大学を受験した。5科目のうちひとつでも成績が良かったら合格できると勝手に思い込んで、ろくに問題が解けなかった数学や生物の答案はださなかったら、落第してしまった。失敗、失敗。耄碌、耄碌。12/31

 

長らくこの駅で改札係を務めてきたのだがいよいよ定年間際となり、行きかう学生たちと顔を合わせるのもこれが最後かと思うと胸にこみ上げるものがあるが、いちばん気になるのはいつも駅の片隅で薔薇を持ったまま誰かをずっと待ち続けている深窓の才媛ふうの謎の美女だった。12/30

 

寅さんが生き帰って生き返って「男がつらいよ」の新作が完成したというので中野君の招きで浅草松竹に出かけたが、両隣のコンパニオンが体を触るのと周囲の男たちが煙草をもうもう吹かすので私は飛び出して半島の先端に座って海を眺めていたがコンパニオンは追いかけてきてなおも触りまくるのだった。12/29

 

大災害に遭った私たちは、懸命に逃れて安全な建物の中に逃げ込んだのだが、階段の途中で後ろを振り返ると、背の高い息子の顔が見えたのでやっと安心できた。12/29

 

前回の人寄せ興行にオランダのチューリップフェアを打ち出したところ、思いがけず集客があったらしく、社長はいきなり新参者の私を指名して「次はなにをやってくれるんだい?」と訊ねるのでちょうどその時たまたまトドプレスの小黒氏を懐かしく思い出していた私が「トド」と答えると、社長は「海獣ショーだね」と泣いて喜んだ。12/27

 

大学の建築科で渡辺ゼミに所属する私は、生真面目な学生でありながら国家特殊秘密探索に従事するテロリストでもあり、毎日のようにシリア人やイスラエル人を暗殺しているのでいっこうに気が抜けないのだった。12/26

 

居間でミサ曲を聴いていたら、地震でもないのに突然家ががたがたと揺れ動き、半分くらい傾いたところでようやく踏みとどまった。これはいったいどうしたことだ。おおこわ。12/25

 

「一輪の彼岸花が咲いている 世界一弱い国でいいじゃないか」という自作の短歌をプリンしたTシャツを着た私が、名古屋城を見物していると、歌人岡井隆氏が「お、なかなかイイね」といわれたので「これは日経歌壇で先生に選んだ頂いた歌ですよ」と説明すると「そうじゃったかね。忘れとったよ」と仰った。12/24

 

第九条をプリントしたTシャツを着て、「日本国憲法」を再出版された元小学館編集者の島本脩二さんと二人で新宿御苑に花見に行くと、天皇陛下によく似た人が「おや、これはなかなかいいですね」といわれたので差し上げると、安倍首相に似た男も「私にもぜひ」というので本と一緒にプレゼントしてやった。12/24

 

部落への道を急いでいる私の前に姿を現したのは、何枚もの畳や様々な家具でしたが、道の真ん中に転がっているそれらを乗り越えながら私がなおも前進しようとしていると、無惨に壊れた大きな家と壁が立ちふさがり、それ以上の侵入を拒んでいるのでした。12/23

 

日本と戦争状態に入っている外国にたまたま滞在していた私は、「断固戦争反対」を唱えて街頭をうろついていると、たちまち巡査に誰何され、ただちに気違い病院に連れ込まれたのだった。

 

絶海の孤島にたつ高層建築のガラス張りの部屋に住んでいた私は、若月嬢に誘われてビルを降り、船に乗って本土に住む彼女の家を訪ねたのだが、いつまで経っても彼女は私を解放してはくれなかった。12/22

 

私は、店長以下全員がホモのNYのイタリアン・レストランで、パスタを食べようとしたのだが、彼らは「美味しいパスタの作り方を教えてあげるわ」といって私をぐるりと取り囲んで、いっかなパスタを食べさせてはくれなかった。12/21

 

しかなく別のレストランに入って念願のパスタを食べようとしていると、今度はホモではないヘテロとおぼしき店長が、「たったいまテロリストからこの店に爆弾を仕掛けたという電話があったのですぐに外へ出て下さい」と叫んだので、仕方なくそのまま逃出した。12/21

 

私たちは広い野原のあちこちにテントを張って、モンゴル人のような生活を楽しんでいた。青空の下で朝から晩までいろんな人のテントを訪ねて、屈託のないおしゃべりをしたり、御馳走になったりお茶を飲んだりしたが、それは慶長の秀吉の醍醐の花見に少し似ていたかもしれない。12/20

 

かなり有名な画家であり、翻訳家でもある中年の女性の下請けの仕事を、私は長い間担当していた。彼女は名前のみで実際の仕事はぜんぶ私に丸投げされていたのであるが、私は絵や語学の素人なので、いつも苦労に苦労を重ねてその仕事をやってきたが、彼女は絵筆も辞書さえ持っていなかった。12/19

 

かつて愛した少女と別れた私が泉岳寺の近くで地下鉄の駅を探していると、道端の植物になんと南国特産の巨大なコノハチョウが止まっているのをみつけたので、息を凝らして近づいて右手の親指と人差し指でつかまえ、ギュウと胸を圧迫すると、蝶はその鋭い歯で私の指をチクリと刺した。こいつもしかして吸血コウモリではないだろうか?12/17

 

誰もがあまり雑誌を買わなくなってきたので、突然わが社のかつての有名雑誌「えりぬき」の休刊が決まった。私は「えりぬき」の若くてきれいな女性編集長のところへ行って慰めようとしたのだが、彼女は泣き崩れて誰の言葉も耳に入らないようだった。12/18

 

南洋のその島の三箇所は非常に危険だから「絶対に近づかないように」と領事らに警告されていたにもかかわらず、私は丸腰でそこを訪ねて、島民たちとなごやかに交歓していた。12/17

 

ブランドイメージを守るためには、あなたと広告部と外部のデザイナーのロゴタイプをいつも同じパターンで使うように徹底しなければなりません、と私が述べると、その世界的に高名なデザイナーは苦虫をかみつぶしたような顔をした。12/16

 

北島君のカメラがいいなあ、欲しいなあと思って1万円札を差し出して「これを譲ってくれないか」といいながらよく見たら、デジカメではなくアナログの古くてボロボロの機種だったので、出したお金をひっこめました。12/15

 

隣の家からどんどん人が出てくるのだが、みんな手に手に「ゆすらうめ」がいっぱいなった枝を持ちながら、うれしそうな顔をしている。うっすらとピンクに色づいたその実をみているうちに、私も欲しくなって隣家に入っていった。12/15

 

気がつくと私はどんどん流され、黒潮の思いがけない速い流れに乗って列島を南下しつつあった。遥かかなたには富士山の白く小さな峰が望まれた。12/14

 

格調高い英国製スーツに身を包んだ永田氏は、私の質問に対して、「スーツの下にポロシャツを着てもいいんじゃないの」と微笑みながら答えた。12/14

 

眠っている私の口の中に女の舌が入り込んで来た。驚いていてそっと目をあけてみると、それは蛇の赤い裂けた舌だったので、私はそいつの首を噛み切ってしまった。12/13

 

電通映画社の松尾さんが「僕はね、あなたが仰ったとおり、いやそれ以上の映像をUCLAで撮影してきましたよ」というと、傍らにいて電通の古川氏が「ではこれで自宅までどうぞ。書き方はおわかりですね」といいながらタクシー券を呉れた。

 

田舎の駅で降りた若者たちは、電車から自転車を下ろしてサイクリングに出かけた。しばらく彼らの後を追ったが、どんどん距離が離れて行く。私にはランニングシューズが必要だと気付いたので、近くの商店街の靴屋に入ってあれこれ試している間に、時はどんどん過ぎていった。12/11

 

昔の知り合いのOという女性が個展を開くというので、私は知らずに百万円超の資金を援助していたらしい。それと知った妻が驚き怪しみ怒ったのは当然のことだったが、もっとショックだったのは私の方で、私はその事実をつい今しがた知らされたのだった。12/10

 

熱砂に埋もれた精霊教会に、突如手に手に機関銃を握り締めたアルカイダの兵士たちが乱入し、西欧からの3名の観光客を銃殺したので、私はあわてず騒がず死体を祭壇まで運び上げて神に祈りを捧げているうちに、テロリストたちは教会から立ち去った。12/9

 

今日の授業は駅前の別館です、と突然事務室より通告されたので私がその教室を探し当てて入ると15名くらいの見知らぬ学生がどんちゃん騒ぎをしていたのでうるせえと一喝して授業を始めようとしたが出席簿がない。いつもなら助手が取ってくれるのだが誰もいない。12/8

 

仕方なく授業を始めたが、誰も聞いていないようなので、私は自分の声に耳を傾けながらどんどん没入していった。しかしその教室には時計が無く、私も時計を持っていない。夢中になって喋り続けていると、突然学生たちが一斉に退席していった。いつのまにか時間が来たらしい。12/8

 

寄宿舎のコインランドリーで洗濯をする時はいちおう受付に申し込むのだが、ほとんどいないし、いても出てくるのが遅い。それで勝手に洗濯していたら、突然回転が止まってしまった。隣の学生にどうしたらいいか訊ねたら、そのうちに動きますよといって漫画を読んでいる。12/8

 

NY暮らしもそろそろ終わりだというのに、自堕落な私は遊び回ってばかりいて卒業制作に全然手がつかず、迷宮のような寄宿舎の中を朝から晩まで徘徊していた。12/6

 

原宿の木下歯科で櫻映社の石田さんに会ったら、彼の右脚が木になっていた。軍国主義のアホ莫迦右翼内閣が中国と戦端を開いたために、千駄ヶ谷小学校も、竹下通りも表参道も青山学院もミサイル攻撃で消滅していた。12/7

 

その事業部で新ブランドを立ち上げることになり、2人のデザイナーが新しい店舗デザインを競うことになった。しかし私が支援してやることになったデザイナーは実力も自信もなく、ただただ世界中をかけずり回ってはひいでたアイデアを盗もうと腐心しているのだった。12/4

 

砂漠の真ん中に生えているクヌギの樹の緑の葉っぱに、なんとコムラサキが止まっていた。私は息を凝らして近より、見事に捕まえた。親指と人差し指ではさんで蝶の胸をぐぐっと押さえると、彼女は死にもの狂いに抵抗したので私はうろたえ、それ以上力を加えることが出来ない。12/6

 

小久保という男に貴重なビデオ・コレクションを確保するように命じておいたのだが、ハイハイと返事ばかりはよくて実際はなにもしないずぼらで抜けめのないこの男は、案の定

致命的な過ちを犯していたのだった。12/6

 

この事業部組織には私を含めて2名のマネージャーしかいないのだが、面白そうな仕事はほとんどもう一人の男に集中しているので、頭に来た私は、勝手に彼の仕事をどんどんやってしまったところ、それにようやく気付いた男が、案の定血相を変えて怒鳴りこんで来た。12/3

 

メンズブランドのデザイナーのみどりさんは、黒を基調にした素敵なメンズウエアをデザインするのだが、必ずユニセックス&ウイメンズ用の服も作ってしまうので、経営者の私は非常に困惑しているのだった。12/2

 

地中海に面した港町南仏セットの海岸通りで、私は万事休していた。グラン・ササキと呼ばれた大親分は殺されたし、中親分は官憲に逮捕された。本来ならばプチ・ササキである私がそのあとめを継がねばらぬが、その大義名分が見つからないまま、私は白いポンティアックを激走させた。12/1

 

 

なにゆえに集団自衛権に異議を唱えぬ君が戦場へ行くかもしれないのに 蝶人