蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

豊島ゆきこ歌集「冬の葡萄」を読んで

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照る日曇る日第729回

 

 豊島ゆきこさんの最新歌集を拝読しました。

 

江戸の代より十三代目の鐘が鳴る二千年紀の人びとの上に

歌詠むはふしぎな遊びたましひの原野に紅き花摘むごとき

かなしみも喧嘩も笑ひもひと括り 三人の衣類がぐるぐる廻る

わたくしはゐるだけでいいこの家にひつそり灯つてゐるだけでいい

喪の日には黒く晴れの日に白く親族といふ一ふさのぶだう

 

 どの歌も平易で素直な言葉遣いの中に、平成の暮れ方をとつとつと生きる歓びと哀しさがさりげなく醸し出されていて、とてもいいですね。

 

夫とわれのしづかな生活朝ごとに卵ふたつを寄り添はせ焼く

結婚はしないが遊びじやないんだとその娘のことをぽつぽつ話す

芽生といふ名にするんだと子は告げぬ風のかすかに秋めける朝

分娩室よりの電話に「エッ、エッ」と泣くやうな笑ふやうな息子のこゑが

家具といふほどのものなき息子らの新居に銀のフラフープあり

 

 思うに短歌は、手で作るものと、頭で作るもの、体で作るもの、そして心で作るもの、最後に肝で作るものの5つがあり、わたくしが嫌いなのは前の2つ、好きなのはあとの3つなのですが、この方のはことごとく「心から」詠まれているようです。それも素直で美しいこころで。

 

切る分くるりんごに輝く蜜ありてわが経し恋のとりどりおもふ

傘を差しあるいは傘を畳みつつ見上ぐる花よ木犀の花

人肌の温度といへる言葉ありかかる温みをもちしその歌

与へられし桝目いつぱい文字を書き良子さんに話すやうに弔電を打つ

 

 ちなみに最近の短歌の多くは、脳味噌の内部で「ああでもない、こうでもない」とこねくりまわした技巧的な言葉遊びに夢中になっていために、楽しいのはご本人だけで、私のように偏差値の低い老学生にはちっとも面白くないのです。 

 

 地に両足を踏みしめ、生活の現場を犀のように歩み、そこで深く感受されたことどもをその体験の深さの奥底でそのまま歌の言葉に置き換えてゆく。そういう生き方、そういう歌い方を、著者はいつのまにか体得してしまったように思われます。

 

病とは健康のためになるものと知りていくばくか明るむこころ

完全に鬱を治さぬはうがいい。そのはうがあなたの良さが出ると言ふ

放射能かすかに混じるこの大気吸ひ込む春も春は春なり

わが裡に新しき町区画して樹を植ゑたしよ家建てたしよ

鬱ふかき日にをさなごと遊びたりそのひとときのみ笑みごゑたてて

 

かの楽聖ベートーヴェンではありませんが、「心より出てて、心へ」、これこそが豊島ゆきこ流短歌術の極意かと思われます。

 

予約をし、また予約をしわたくしの生をこの世に繋ぎとめおく

天秤はふかく傾きわれは生のよろこびの側にゐるなり

わが歌集はわれが死にたるときに読む、泣きながら読むと息子は言へり

モンブランの万年筆にインク満たしもう一度丁寧に生きてみようか

白色のこのみどりごに色をつけるわれらと世界、あつ、あくびした

 

 ああ、私もこんなことをこんな風に歌に詠めたらいいのになあ!

 

 

なにゆえに佐々木小次郎は武蔵に敗れたか祖父小太郎は悔しがってた 蝶人