蝶人戯画録

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吉田秀和著・西田彰一編「モーツァルトその音楽と生涯第3巻」を読んで

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照る日曇る日第741回 

 

 1982年10月から83年12月までNHK-FMの「名曲のたのしみ」で吉田秀和翁がDJしたモザールの人世と音楽についてのトークを要領よくダイジェストした書物。本巻では1777年から1782年までの若き天才の足跡をたどっています。

 

 取り上げられているのは77年のピアノ協奏曲「ジュノム」、78年の「フルート協奏曲」やピアノソナタイ短調、79年の「協奏交響曲」、「エジプトの王タモス」「ツァイーデ」、80年の「荘厳ミサ曲」「ヴェスペレ」、80年の「イドメネオ」、81年の「ヴァイオリンンソナタK377、380」、82年の「後宮からの誘拐」などです。

 

 モー選手が57歳の母親と巴里滞在中に死別した1778年には、あの悲痛なイ短調K310のピアノソナタが書かれていますが、母親の急死を父レオポルドに衝撃を与えないように告げる2通のこころ優しい手紙を紹介しながら、翁が「モー選手は音楽だけ作ってあとはなにもできない子供のような人ではなかった。彼は人の心の奥まで感じる力をもつ想像力豊かな人間だった」と断じているのは同感です。

 

  翁またいわく。「モーツァルトは非常にすばらしい音楽を書きながら、ベートーヴェンと違って、書き過ぎない。そしてあるところは暗示でとどめたりする。彼はけっして行き過ぎない芸術家だった」

 

 またまたいわく「モーツァルトは人間の心のありのままを音楽に写そうとした。しかし「音楽はどこまでも音楽で、美しくなければならない」」

 

巻末にいわく「モーツァルトはやっぱり「心の広い人がいい音楽を書くのかしら」というような気になるところがありますね」

 

 その言うやよし。されど吉田翁は、私の大好きなオペラ・セリア「イドメネオ」を、なんとアーノンクールチューリッヒ歌劇場のオケで紹介していますが、当時最新流行の演奏がいまとなってはさほど革新的でもましてや感動的でもないことは、改めてベームドレスデン国立歌劇場による「正統的」な演奏で序曲だけでも聴けば、どんなロバの耳にでも分かるのではないでしょうか。

 

 

 歳時記をバイブルにしながら生きてくなんておいらにゃ到底出来ないよ 蝶人