蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

Itの降臨


今日は、まず出光美術館の国宝「伴大納言絵巻」をざっと見物してから(超満員)、文化の文化祭に行きました。

今年のファッションショーは「中心軸を広げよう」というテーマのもとで遠藤記念館にて開催されました。

この記念館はいまでは再建されてふつうのコンクリの建物になってしまいましたが、昔はけっこう開放感に満ち、音響に秀でた木造建築でした。

あるとき私の僚友がここでファッションショーをやったのですが、そのとき会場で小型飛行機を飛ばしたのがおおうけしたことをはしなくも思い出しました。

今回は今流行のかわいい系からエスニック、ジャパネスク、ゴシック、ロマネスク、ピカレスク等々、さまざまなトレンドが多彩な切り口で展開され、過去、現在、未来のモードを小さな箱庭に凝縮して手際よく見せていました。

私のクラスの学生諸君も「La Sainte Priere」というネーミングで、宗教儀式をモチーフにしたブラックゴシック調に意欲的に取り組み、見るべき成果を挙げていました。先日本物を見たばかりの「風神雷神図屏風」をあしらった和洋折衷の高雅な世界を創造した「雅」も面白かった。

 文化服装は服飾の専門学校であるとはいえ、けっしてプロフェッショナルではありません。

アマチュアの人たちがつたない技術をありあまる情熱とプロを凌ぐ鋭い感性でカバーしながら、自分たちが好きで好きでしようがないものを全身全霊をこめて作り上げ、それを私たちに見せてくれるのです。

だから既成デザイナーのショーはとは違う生まれたばかりの新鮮さと生命力にあふれているのです。

例えば東コレの超ベテランデザイナーのショーを見ても、感心こそすれ感動などはこれっぽっちもしません。何年もショーをやればやるほど作り手はアイデアが枯渇し、疲労困憊し、作品を作ることに喜びではなく苦痛を思えるようになるのです。

それはクラシックのオーケストラも同じです。

例えば日本でもっとも優秀だといわれているNHK交響楽団と私の地元の全国的にはほとんど無名の鎌倉交響楽団。どちらが良い演奏、つまり人間を感動させる演奏をしているでしょうか? 

一流の音楽大学を出た優等生プロがやっている生真面目だけがとりえで、退屈で、凡庸で無個性な前者に比べて、技術的にはへたくそかもしれないけれど、音楽が好きで好きでやっているアマチュアオケの後者のほうが10層倍も100層倍もその演奏の中身は素晴らしいのです。

音楽もモードも映画もお芝居も、その他なんでも、そのパフォーマンスに接して、私たちが面白い、すごい、素晴らしいと感じるものには、「It」があります。「それ」があるのです。

演奏やパフォーマンスの瞬間に、舞台の上から「それ」が降臨する黄金の瞬間があるのです。それこそは奇跡の訪れ、芸術の法悦、もうこれで死んでもいいとすら思えるエクスタシーの瞬間です。

しかしながら「それ」は稀にしか訪れません。私はかつて2年間毎晩2つの音楽ライブに接したことがありますが、「それ」がやってきたのはたった2回でした。それでもその「It」が楽しみで、コンサートゴアーはせっせせっせと通いつめるのです。

「それ」がやってきたときには、演者にも聴衆にもすぐにわかります。しかし「それ」の訪れは誰にも予想できません。

しかし私は「それ」はプロの手だれて集団よりも、純真無垢?なアマグループの演奏やパフォーマンスからもたらされる確率が高いと確信しているのです。