蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

Hの終わり


ふあっちょん幻論 第3回


時代はHからWに向かってゆるやかに推移し、歴史は大きな結節点を迎えようとしています。

HOWを主題とする産業の代表選手は、たとえば電通や博報堂などの広告代理店です。彼らは政府・政党・自治体などに依頼されて、「絶対に負けない、絶対に効果のあるキャンペーン」なるものを展開しますが、賢い消費者に対してかつてそんなものが1度でも成功したことがあるのでしょうか?

また彼らは民間企業に対して莫大な金額を使った市場調査や最新の学説に依拠した超現代的なマーケティング手法を提案してくれますが、果たしてそんな代物がファッションをはじめとする企業の売り上げに少しでも貢献したことがあるのでしょうか。
非常に疑問です。

ファッション業界においても、過去20年間にわたってHOWを主題とするマーケティング手法や学識者やひょーろん家がえらそうなりろんを唱えてきましたが、結局それらは経済ひょーろん家や文芸ひょーろん家とまったく同じ運命をたどることになってしまいました。(いくら評論・批評しようとまったく肝心の経済や文学や演劇や音楽そのものの動向に影響を与えることができない大多数の言論商売の人々を指す)

これに付随するのが、まず主部や主語を明確に語ろうとせず、それらを巧みに隠蔽して述語や修辞をもてあそぼうとする隠微でHな服飾文化の行き詰まりです。

主張も思想もなく、隣人や先行者や外国人の生産物をただ模写したり、文脈への配慮や注釈もなしに盗用的に引用するような手法の破産です。

半世紀近くも前の時代に、発展途上国の異邦人という立場からこのクラシックな業界に参入した諸先輩は、いかにして売れる服を作ろうかと考えたのではなく、既存の世界には絶対に存在しない服を作ろうと考えたのではないでしょうか?

不定形のHOWからではなく、WHATという始原の星雲状態から暴力的に出発したのではなかったのでしょうか?

アパレル・ビジネス業界の全域に及んできたHの終焉を見つめながら、私たちは古くて新しいWの創造の波を形成しなければならないのではないでしょうか?