蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

贈る言葉


あなたと私のアホリズム その5


昨日は学校の最終講義だった。

まだ来週の試験が残っているが、いちおうこれでおよそ40人近くの学友諸君と訣別したわけだ。ほとんどの生徒とはこのSNSというメディアを除いては二度と会うこともないだろう。

彼らは学校を卒業し、どこかへ旅立っていく。けれども私は相変わらずここにとどまり、おそらくもうどこにも行かないだろう。私は「出発すること、それは少し死ぬことだ」というガストン・バシュラールの有名な言葉を思い出したが、出発しないほうだって多少は死ぬのだ。

年々歳々同じような「学生vs代わり映えしないあほ教師」という相関関係の中ではあっても、また、それが週にただ1度90分間だけの交わりであっても、春夏秋冬と1年間授業を続けていれば、そこには毎回ささやかな波紋が広がり、忘れがたい思い出のいくつかもそこここにちりばめながらお互いの記憶の深層にゆっくりと降りていくのである。

そうしてそれらの記憶は数年、いな数十年の時間を経て懐かしく回顧されたりもする。

私には人を教えることなどできない。いちおうはもっともらしく表層の知識の断片をノートに取らせたり、毎回演習問題をやらせたりしているけれど、そんなものは水はちゃらちゃら御茶ノ水、粋なねえちゃん立小便、のようなものですぐに忘れられてしまう。

残るのは教師の謦咳だけである。稀に彼が思いがけず発した片言隻句だけが誰かの胸にトゲのように刺さることがあり、それが教育的効果のすべてである。

だから教師はいつでも彼の実存をさらさなければならない。無様で醜悪な生き様を見せなければ反面教師にもなれないのである。

知識ではなく、生に向かって懸命に格闘している姿を90分間ライブでお眼にかけることが教師サービス業の本質であり、それを感得した若者は自分で自分の勉強を始めるのである。

昨日私は、授業の最後に黒板に

春風や 闘志いだきて 丘に立つ
 
という高浜虚子の句を書いて、前途有為な彼らへの別れと励ましの言葉に代えた。

そうして今日の午後、果樹園に散歩に行ったら、突然
「われ山に向かいて眼をあぐ」
という言葉がどこかから湧いて出た。

これは確か太宰治か聖書の文句だったと思うが、じつにいい言葉ではないか。誰もいない広大な果樹園の中、真っ青に澄み切った大空の下で聳える緑の山を見つめながら、ひさしぶりに私自身も「いざ生きめやも」という気持ちになったことであった。