蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

十二所の神々


鎌倉ちょっと不思議な物語40回


十二所神社の十二所は、「じゅうにそう」、または「じゅうにそ」と読む。「じゅうにしょ」は「敬愛なるベートーベン」ほど酷くはないが、間違った読み方なので念のため。

さてその十二所神社は、かつては時宗一遍上人が開いた光蝕寺の境内にあって十二所権現と称したが、天保9年(1838年)に大木市左衛門の寄付した現在地に移転した。

一遍は紀州熊野神社本宮にこもって彼の時宗(一遍宗)を開いたので、時宗では本宮を中心とした十二所権現を各地の時宗寺院に勧請して祀ったのである。

その後明治の廃仏毀釈の際に権現を神社に改め天神七代、地神五代をもって祭神とした。

十二所の地名は、この神社に因んでいるという説と、この字の家の数が12であったという説とがある。(「十二所地誌新稿」より)

この神社には力士石があり昔の里人が力比べをした。また鎌倉石のきざはしが2重構造になっているのは珍しく、江戸期の寺社建築と本殿の軒下の木彫りは見事である。


さて20年くらい前に、私たち一家はこの十二所神社のすぐ隣に住んでいた。

秋の祭礼には大小の神輿が繰り出し、大勢の人たちが金魚掬いや綿飴やぼんぼりや出し物をお目当てにやってきた。

出し物の目玉はコロンビアやキングの売れない新人歌手だ。マネージャーに連れられてやってきて下手くそな、しかし哀愁のにじむ演歌を歌ったものである。

去年はたしかトンガかフィジーからやってきたフラダンス?が超目玉であった。

私はフラダンスはパスして、毎回子どもが描いたぼんぼりの絵と、寄進者の氏名と金額が書かれた立て札を眺めにいくことにしている。町内会が祭礼の寄進を求めるので、私は毎年1500円の寄付をしているのだ。

ところが驚いたことに、創価学会の家ではびた一文ださないのに、近所のカトリック修道院がいつも十二所神社に3000円の寄進をしている。世界に冠たる1神教のくせに寛容の精神がある、と感心していたが、さすがに去年はやめたらしい。

この修道院は前にも触れたように三代将軍実朝が創建し、永仁元年1293年の鎌倉大地震で壊滅した大慈寺の跡地に建っている。敷地は立ち入り禁止になっているが、修道女が瞑想しながら歩む裏山の小道にはいくつもの仏像が並んでいることを私は知っている。

今を去る800年前、実朝があの金塊和歌集の素晴らしい古歌を吟じ、蹴鞠に興じたその同じ空間で、グレイの僧衣に身を固めたシスターたちが、祭壇の父と子と精霊に額ずいているとはなんという歴史の皮肉であろうか。