蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

百万遍の大祈祷会


ある丹波の老人の話(3)


にわかめくらの母はなにひとつ自分ではできません。

食事の世話は箸の上げ下ろしから、便所通いにはいちいち肩を貸し、私はだいじなだいじな母、好きな好きな母のために、学校を長く休むかなしさも、友達と遊べないさびしさも忘れて、かたときもそばを離れんと介抱しました。

病院には広々とした庭があって、中には観音様のお堂があり、お参りする人が次から次に押しかけ、線香の煙の絶え間がありませんでした。

母の眼を治すために何かに祈りたい気持ちでいっぱいだった私は、「いつか母から話を聞いた柳谷も観音さん、これも同じ観音さんやから、この観音様に母の弦病平癒の願いをこめて一心に祈ってみよう」と決心しました。

毎朝母が眼を覚ますとまず一番に便所に連れて行き、それから食事をはじめ次から次に用事があります。せやからお参りは母がまだ起きないうちに済ませんとあきまへん。私は毎朝薄暗いうちに起き出して観音さんにお参りをしました。

それからお祈りをするんでも、ただ「お母さんの眼を治してください」だけでは自分の真心が観音様に通じないような気がして、いろいろ考えた末に、「私の片目をお母さんに上げますから、お母さんの片目だけでも見えるようにしてください」といいながら祈りました。

それもただ心の中で念じるだけでは通じないような気がして、声に出して祈ったんです。こんなに朝早うから誰も聞いておる人はおらんやろ、と思って、その声はだんだん高うなりました。ところがそんな私の声を聞いておる人がおったんです。

丹後の森というとこから来ていた馬場冶右衛門というおじさんと、越前から来ていた川合おえんさんというおばさんでした。

馬場さんは眼の悪い奥さんに付き添ってきていて、ひまさえあれば老院長の碁のお相手をしている心のやさしいおじさんでした。

おえんさんもやさしい世話好きの良いおばさんでした。この二人が私のことを病院中に言い触らしたので、「かわいそうなことや」「感心な息子や」などとたいへんな同情と評判を呼んでしまいました。

とりわけ老院長がすっかり感動し、おえんさんと馬場さんの奔走の結果、老病院長夫妻が願主となって私の母の回復を観音様に祈願する百万遍の大祈祷会が病院の大広間で開かれることになってしもうたんです。