蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある丹波の老人の話(2)


  するとそのとき、母は「わたしは柳谷の観音様におこもりして“消えずのお灯明”をあげて一生一度の願を掛けてみよと思うんや。そやからどうぞわたしをそこまで連れて行っておくれやす。あとはどないなってもええさかいに、二人は家に帰っとくれ」というのです。

母はかねてこの観音様の霊験があらたかなことを聞いておりました。“消えずのお灯明”というのんは、手のひらに油を入れてお灯明をともし、一生一度の大願を掛けるんやそうです。

しゃあけんど、そんなところにこの不自由な母を置き去りにして帰れるもんやない。私と父はますます困り果てて悲嘆に暮れ、その場におった二人のカゴかきも一緒に泣いてくれたほどでした。

この愁嘆場を見るに見かねたのでしょう、十二屋の主人が親切に慰めてくれ、さらに「あのなあ、千本通り鞍馬口十二坊いうとこにどんな難病でも治すっちゅうほんまに上手な眼医者はんがおります。これからそこへ行って診てもろうたらどんなもんじゃろかな?」とすすめてくれたんでおました。

その話を聞いた途端、ワラにもすがりたい気持ちの私たちは、京の端から端まですぐにその医者のところへすっ飛んで行きました。

着いてみるとなかなか大きくて立派な病院です。院長は確か益井信という人でしたが、そのお父さんと共に開業してはる眼科の専門病院でした。

早速益井院長に診察してもろうたところ、「いかにも難病は難病やけど、もしかすると治るかも知れまへんなあ」というのです。

九死に一生を得た思いの私たちはすぐに治療と入院をお願いしたんやけど、あいにく病室は満員だというんですわ。

それをなんとか拝み倒して、せめて1週間でもよいからと必死に頼み込んで、とうとう薬瓶などを積んである狭い物置部屋に収容してもらうことに成功しましたんや。

ほいでもって父とカゴ屋はそこで引き上げ、私が独りで母の介護に残りました。
(続く)