蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

乱橋から妙長寺へ


鎌倉ちょっと不思議な物語61回

「乱橋」は鎌倉十橋のひとつである。道路の端にあるのでほとんどの人が見逃すほんの小さな短い橋だが、ときおり「吾妻鏡」に登場する。

この近所には横溝正史大仏次郎が住み夏目漱石も家族と共に訪れている。

すぐ傍にある妙長寺はすっくと夏の空に聳える日蓮像のたもとに控えている。

数年前に建て替えたために、実につまらない近代的な外観になったが、昔は鄙びた味の寺であった。北鎌倉の長寿寺と同様、今も昔も観光客には公開されていないのは立派だ。すべからく寺は全部そうあるべきだと私は思う。

ところでこのお寺は、私の大好きな天才尾崎紅葉の弟子であって、その紅葉ほど私が好きではない泉鏡花が明治24年の夏に滞在していた。

鏡花の「星明り」には鏡花が外出した間に締め出されたときの思い出が書いてある。

「さまで大きくない寺で、和尚と婆さんと二人で住む。松葉牡丹、鬼百合、夏菊雑植えの繁った中に向日葵の花は高く蓮の葉の如く押被さって、何時の間にか星は隠れた。門の左側に井戸が一個(現存せず)。飲み水ではないので極めて塩辛いが、底は浅い。屈んでざぶざぶ、さるぼうで汲み得らる。石畳で掘り下ろした合目には、此のあたりに産する何とかいう蟹、甲羅が黄色で、足の赤い、小さなのが数限りなく群がって動いている。」

この蟹については確か漱石も書いていた。そこいらをきょろきょろ探して見たが、残念ながらいなかった。恐らく近代化の波におぼれて絶滅してしまったのだろう。

いや待てよ。これが淡水産の蟹ではないとすれば、もしかすると材木座の海岸をくまなく探せば一匹くらいいるかもしれないな。

私の住んでいる山地にも昔は大量の蟹がいたが、最近はほとんどいなくなってしまった。しかしモクズ蟹とウナギはまだ生存している。でもどこにいるかはもう教えたくない。

というのも、先日棒を振り回して高い崖に咲くイワタバコを盗んでいる男を見たからだ。私がこいつを大声で怒鳴りつけると、この馬鹿男は恥ずかしそうにどこかへ行ってしまった。

ということでせっかくお寺の話を始めたのに、最後は血の気の多い話で終ってしまった。