蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

なおも戸塚近辺をうろつく


遥かな昔、遠い所で第9回

ここいらあたりは昔は戸塚1丁目と2丁目であったはずなのに、地名表示を見ると西早稲田に変わっている。いつ誰が勝手に変えたか知らないが迷惑な話だ。

東京の地名はすべからく戦前の呼称に復古してもらいたい。私はそーゆー構造改革には断固として反対する者である。

 戸塚町源兵衛ゆかりの名前を看板にした名物の焼き鳥屋はまだ頼りなげに残っていた。昔ながらのクリーニング屋やしもた屋も、数は少ないけれどもまだ残っておった。

一瞬うずたかく積み重ねた書籍の谷間から、文献堂の主人が額をテカらせたような気がして、私は、とある古本屋に入ったが、そこにはかの精悍な小男の顔は見当たらなかった。

私はこのささやかな、しかし豪奢な知の王国で、吉本隆明の「試行」を毎号買っていた。

ゴリゴリの古典派マルキシストと噂された主人は、おそらく店舗もろとも西方浄土に遷化してしまったのであらう。

しかしながらいくつかの古本屋はまだ健在であった。ある本屋では柳田國男全集が9800円であった。会津八一全集がべらぼうな値段であった。

私は早稲田の古本屋でアナトールフランスの全集やヴァレリーの翻訳などを買い揃えてはせっせと神田の古本屋で転売し、その金をすべて雀荘で浪費していたことを思い出した。

げに、言うも愚かで、貧しく、不分明な日々であった。