蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

戸塚近辺をうろつく


遥かな昔、遠い所で第8回&勝手に建築観光16回

高田馬場駅前から戸塚に向かって歩いていくと思いがけず古色蒼然としたレンガ造りの小さな建物が見つかった。喫茶店のランブルである。

RUMBLEは英語で車などがガタガタ音を立てて進むという意味である。私は思いがけずこの名を目にしたとき、大通りをけたたましい響きを立てながら突っ走る都電の勇姿を思った。そうしてその頭の中の響きが、けっしてこの節の不愉快な騒音ではなく、いにしえの大都市東京に欠かせない懐かしい風物であるように感じられたのである。

今ではまるで幽霊の棲む洋館と化したこの店では、かつてクラシックの名曲レコードを客の希望に応じてかけていた。

私は学校に行かずにこの「ランブル」や野村胡堂ゆかりの「あらえびす」に入り浸って、かの出目金爺カール・ベームが指揮するヴィーンフィルのモーツアルトト短調の交響曲やレクイエムなどを次々にリクエストしては、日がな一日サルトルやニザンなどを読んで、結局はいわゆるひとつの青春を浪費することが多かった。

ランブルのコーヒーはいたずらに濃くてまずくて苦く、私は飲むと必ず下痢をしたが、それでも通い続けた。

ランブルよりはあらえびすのほうがレコードコレクションが豊富で格調高く、黒と白の制服の処女もシックであると思はれた。それゆえ私はこの近くにあったはずのその店を探したがその所在は杳として知れなかった。

たぶんだいぶ以前に取り壊されてしまったのであらう。その代わりといっては変だが懐かしの早稲田松竹はいまなお健在だった。