蝶人戯画録

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ポール・セロー著「ワールズ・エンド(世界の果て)」を読む


照る日曇る日第87回

生まれてきて済みません、だの、ここはどこ、私は誰?といった違和感、場違い感は誰しもが人生に懐く感慨だが、ポール・セローの場合は筋金入りだ。おそらくは生まれながらにこの世界に対する複雑なねじれを感じつつこれまで生き延びてきた人なのだろう。

アメリカのマサチューセッツに生まれ、1963年に良心的反戦主義者として平和部隊に入り、アフリカに派遣されてマラウィとウガンダで英語教師をし、ケニアで知り合った英国人女性と結婚して3年間シンガポールで教職についたのちにロンドンに住むという彼の経歴ひとつとっても、あるいは本書に収められた9つの短編のどれを読んでもそのことが強烈に感じられる。

表題の「世界の果て」ではアメリカを引き上げてロンドンのワールズ・エンド(キングズロードに実在する地名)に移住した夫がようやく見出したはずの安住の地で突然見舞われる身震いするような災厄が描かれ、「緑滴る島」では二〇になるやならずで妊娠した、させたニューヨークの若いカップルが、灼熱の地プエルトリコに逃げ出し、サンファンのホテルでボーイをしながら暮らすうちにお互いの愛もさめ、ますます深刻な事態に陥る話だし、「真っ白な嘘」はボストンからアフリカにやってきた男の全身の皮膚から新種のハエの幼虫がぞろぞろ湧いて出るという、まるで悪夢のような、しかも実話である。

このようにセローは私たちがなにかの拍子に陥るかもしれない日常生活の不気味な落とし穴や不条理の裂け目を恐ろしくリアルに描写するが、だからといってどうこうするわけではない。あたかも「とかく世間は昔からこんなものですよ」とでもいうように、主人公も読者もその絶望的な状況に置き去りにして、あっというまに悲喜劇の現場から立ち去るのである。

 ポール・セローほどクールな作家は珍しい。

暗黒層を掘れど光明現れず 亡羊