蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

スクッと立つ?


♪バガテルop36

毎年「成人の日」にはサントリーの広告が出る。確か以前は山口瞳氏がコピーを書いていて、一読なかなかのものだった。氏亡き後は伊集院静氏が担当しているが、年々その中身も表現も、ビールにたとえるとコクが失せ、切れ味が鈍くなり、全体の味が軽く、薄くなったような気がするが、それは書き手の個性の違いである以上に、この間の時代の変化によるものだろう。

年々ますます生きにくくなる時代の竿頭に立って、一人前の大人が一人前になろうとする若者たちに対して何をどう助言すればいいのか? それは誰が書くににしても至難の技であるに違いない。

ちなみに今年は、「平然と生きる人であれ」「強いをめざす君に乾杯」という伊集院氏特製のキャッチフレーズが作家の万年筆の手書きでレイアウトされているが、後者はいわゆる広告のコピーである。この広告は確かにサントリーの新年広告ではあるが、わたしが思うに、「強い」をめざす、などという広告そのものの言葉を使ってはいけない。なぜならこの広告は広告言葉をあえて排除する場所でしか成立しない変態的広告であるからだ。
元は広告のプロであった氏がこのような初歩的なミスを犯すとは意外であった。

ボディコピーもそれなりのことが縷々書き連ねてあるが、さほど強烈な説得力があるわけではない。調子に乗ってさらに重箱の隅をつつけば、文中の「スクッと立っている」は副詞をカタカナ書きにした方言ないし口語的造語と受け取れば必ずしも間違いではないが、あまり耳慣れない日本語である。

スクッと立つのはさしずめレッサーパンダくらいなもので、一人前の人間ならば「すっくと立っている」「すっくと立っている」あるいは「すくと」または「すっくり立っている」の方が人口に膾炙していてモア・ベター?ではないだろうか。
ちなみに「すっくと」は立ち上がるさまを形容するのが一般的だが、堂々と立っているさまもあわせて形容する副詞である。


♪一月も半ばを過ぎて仕事なし 亡羊