蝶人戯画録

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網野善彦著作集第6巻「転換期としての鎌倉末・南北朝期」を読む


照る日曇る日第89回


安達泰盛といえば蒙古来襲のみぎりに自らの首を賭けてひたすら恩賞を求めて一所懸命に戦った竹崎季長に破格の待遇と恩賞を与えた剛腹な御家人だった。しかし霜月騒動によって当時の悪党どもによって暗殺される(私のご贔屓の)悲劇の政治家である。

著者は「関東公方御教書」という論文のなかで、この執権政治とその興亡を共にし、兼好法師が「道を知る人」と評した安達泰盛への共感と偏愛を隠そうとしない。無味乾燥に堕しがちな叙述の中に、私情と詩情を平然と持ち込んで語る勇気と才知を兼ね備えていた稀有な歴史家であったことが、喪ってはじめて分かる網野善彦の魅力だった。 

多くの歴史家が否定的に論じた「悪党」や楠正成、後醍醐天皇についても著者の切り口は鮮やかである。古来諸説飛び交う「悪党」の本質を、非農業的な生業と不可分な関係にあり、遍歴性を持つ「職人」的武装集団と喝破したのは著者だけであろう。楠正成がその典型であるが、原始的な「荒々しさ」と著しい「有徳さ」とが切り離しがたく結びついて現れる状態、それが「ばさら」なのである。

鎌倉末期、繰り返される幕府からの弾圧にもめげず、自らの結びついた権門寺社内部の対立をたくみに泳ぎ回る「ばさら」たち。その権門内部対立が頂点にまで達したとき、赤松円心、楠正成、名和長年などの悪党たちの鬱屈した怒りと革命のエネルギーを見事に束ねたのが後醍醐天皇と(私のご贔屓の)護良親王だった。

なお正成の祖先は不明だが、本拠地金剛山の近くに平安時代から天皇家直轄の金剛砂(エメリーという鋼玉)を売買する商人がいたのでこれを正成に結び付けたくなると著者は告白している。

覆面して笠をつけ下駄を履く異類の「ばさら」たちを皇居に出入りさせ、非人たちを軍事力として活用し、あまつさえ現職の天皇でありながら自ら法服を着けて真言密教の祈祷を行なった後醍醐は実に異様な異常な王であった。

彼は元徳元年1329年に「聖天供」の祈祷を行なっているが、聖天供の本尊「大聖歓喜天」は有名な象頭人身の男女抱合、和合の像であり、男天は魔王、女天は十一面観音の化身といわれる。後醍醐天皇はここで人間の深奥の自然であるセックスそのものの力を自らの王権の力としたのである。(「異形の王権」P366) 

そして著者は、非人を動員し、性そのものの力を王権強化に用いることを通して日本の社会の深部に天皇を突き刺した後醍醐が、「その執念で」南朝を存続させ、室町時代から現代にいたる天皇制の運命を決した、と謎のような言説を吐いて憂き世を卒然とみまかったのであった。
我もまた穴で春待つ土竜かな 亡羊