蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

映画「アマデウス」を視聴する。


♪音楽千夜一夜第33回

先日かつて大ヒットした映画「アマデウス」がNHKのBSでデイレクターズ・カット版という長尺版で放送されたので久しぶりに再見したのだが「ドン・ジョバンニ」の序曲の冒頭の和音から始まり、k467のピアノ協奏曲のアンダンテで終わるこの映画の醍醐味はやはりモザールの音楽の素晴らしさを堪能することにあるのであって、サリエリがモザールの神に愛された天才を憎むあまり、刺客を派遣して砒素を盛って暗殺したなどという愚にもつかない伝説や、同じサリエリがモザールの妻コンスタンチエの貞操を奪おうとしたとか、あまつさえみずからが「レクイエム」の作曲を依頼し、モザールの最期の夜に彼の絶筆をアシストしたとなどというモザールにまつわるあれやこれやのホラ話や嘘やインチキや風説のかぎりを吹聴される下世話なたのしさ、面白さなどにけっしてないことは心ある人には自明のことであるにしても、それでもこの映画がモザールの自伝というふれこみであるだけにいまなお一抹の不安が掠めるのであるが、であるにせよ見所聴きどころはいたるところに転がっており、例えば「後宮からの誘拐」のフィナーレのジャン・ピエール・ポネルを偲ばせる見事な演出や「フィガロの結婚」の第4幕の至高のフィナーレで皇帝ヨーゼフ2世が欠伸をすることによって自らの俗流芸術趣味を暴露してしまう箇所、ウイーンで冷遇されたモザールがプラハの民衆から歓呼を受ける光景、死相をあらわにしながら「魔笛」を振るモザールの鬼気迫る指揮ぶり、「ドン・ジョバンニ」の地獄落ちの凄まじさ、光るネビル・マリナーの指揮と音楽構成、セントアカデミー・インザフィールド管の演奏によるk201の交響曲、k450のロ長調ピアノ協奏曲のアレグロの導入、あるいは楽譜初稿に書き損じがないとサリエリが感嘆する瞬間に流れる「フルートとハープのためのコンチエルト」k299の緩徐楽章のフルートの高鳴りなどなど文句なしのお楽しみだが、そうはいっても映画の最後の葬送シーンで未完の「レクイエム」に伴われてウイーンの墓地にしの降る雨はほとんど春雨程度のゆるい降りであり、実際にそうであった12月の暴風雨の荒れ模様などまるで表現されておらず、一体全体どうしてサリエリもコンスタンチエも墓地の入り口で留まって引き返したのか、またいったいモザールともあろう有名人がどうして無人墓地に犬猫のように葬られてしまったのか、あんまり可哀相ではないか、あれでは02年の今月今夜に死んで我が家の庭の奥津城に葬られた愛犬ムクのほうがよほど恵まれていたではないか、と文句のひとつも言いたくなるのである。


セサミンを飲んだか飲まぬか忘れてしまうこの安物の私の脳髄 亡羊