蝶人戯画録

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極楽寺を訪ねて


鎌倉ちょっと不思議な物語127回

極楽寺は真言宗の名刹である。正嘉年間1257-59にひとりの老僧が深沢に草堂を建て、阿弥陀如来像を安置して極楽寺と称していた。老僧亡き後正元元年1259年に北条義時の三男重時がそれを現在地に移したといわれている。

弘長元年1261年にその重時の子長時(六代執権)と業時兄弟が当時多宝寺に入山していた忍性を招いて開山した。忍性はここで施薬院、悲田院、施益院、福田院の四田院を設け、不幸な人を救済するための福祉事業に取り組んだ。人間だけでなく、病気や年老いた牛馬の面倒をみる病舎も建てるなど、ボタンティアの先駆者ともいえる徳の高い僧侶で、人々からは医王如来と崇められていたそうだ。さらに橋を架けるなどのト公共土木工事にも力を入れていたことはあまりにも有名である。

極楽寺は完成当時は七堂伽藍と四十九の塔頭を誇る大寺院だったが、いくたの自然災害や火事に見舞われ、現在残っているのは文久3年に建てられた本堂のみであるが、境内に残る製薬鉢や千服茶臼は鎌倉時代の遺物であり、往時をありありと想起させる。

以上お馴染みの「鎌倉の寺小事典」より引用しましたが、今から30年前に私が一目ぼれをした好個の木造家屋がこの近所にあり、諸般の事情で購入には至りませんでしたが、もしかするとこの近辺に住んでいたかもしれないと思うだに極楽寺は懐かしいお寺なのです。

山門を仰げば「芝棟」が。これは昔の日本の農家にあった茅葺の屋根の上にユリ、キキョウ、ニラ、アイリスなどの植物を茂らせるという植物と建築の一体化の手法ですが、これが極楽寺にもあったとは思いがけない発見でした。

本堂に向かう参道の右側には、薪をうずたかく積みあげた民家があり、電気に頼らずこれで暖房する心意気を感じさせてくれます。境内は狭いながらもどこか風雅で格調の高い古拙の趣きがそこここに感じられ、じつに心が休まるよいお寺です。境内が撮影禁止なのもわが意を得たりであります。


♪売ればもう二度とは返らぬ息子の絵命削りて今日も描きおり 茫洋