蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

よしもとばなな著「サウスポイント」を読む

照る日曇る日第131回

今晩は蛍が4箇所に8匹いた。そのうち3匹がもつれ合いながら谷間の蒼穹に消えていく姿はまことに美しかった。それで私はなんとなく宮崎と坂口という死刑囚のことを思った。

鳩山という法相は大量の蝶類を殺戮してきたので、人類もわりあい抵抗なく死に追いやることができる人ではないかと私は確信している。ともかく蛮勇の持ち主である。たいしたもんだ。

さて本書である。

昔この人は吉本ばななであったのに、いつからひらかなに変えたのだろうか。高島流かそれとも新宿の母だか銀座の母に占ってもらったんだろうか。いずれにしても、私は姓名判断に頼る奴はきらいだし、にやまひろし、とかかまやつひろし、とか、なだいなだとか姓名をぜんぶひらくやつはきらいだ。きらいだきらいだ、全部きらいだ。

どうしてきらいなのか我ながら理由が分からないので、あとでゆっくり考えてみようと思うが、たぶん考えても分からないだろうし、それにその「たぶんあとで」、はないだろうな。人生ってそういうものだ。いまこそそれを考えるべきとき、実行するべきとき、と思っていたって結局はずるずるずるずる一日のばし、二日のばししているうちに10年、20年が過ぎていってしまう。人生ってそういうもんだ。

ばななはハワイが好きらしい。とりわけオアフ島ではなく、ハワイ島の南端のサウスポイントの黄昏に魅惑されているらしい。そこには人々を父母未生以前の原初の状態に還元してくれる精霊が宿っていて、現代の苦難に生きる人々の心身を洗濯し、解放してくれるらしい。

ばななは多少スピリチュアルな世界に影響を受けているようで、そこのところは気に喰わないが、たとえば村上龍のような大きな小説から遠く離れて、小さな小説の小さなよろこびと小さな悲しみをきりきりと生き、切々と抱きしめるところが樋口一葉のようで涙ぐましい。

>私はあの日、サウスポイントではっきりとそれを見た。
海と空、天界とこの世、風と潮、いろいろなものが美しく混じり合って溶けていたあの地点で、私はこの世を支配している力がもたらす、また別の裂け目を見たのだ。ふたつの世界の巨大な力が混じるところを。この世には別の世界をかいまみせるたくさんの裂け目があり、それに感応する魂を抱いている限りは、まだこうしていろいろなものをただ見ていたい、愛する人たちを助けていたい、そう思った。きっとこの場所は、たまに人間にそんな不思議な力を見るのを許してくれる、とっても稀で、厳しくして優しいところなのだろう。(p233)

この前段がいささか紋切り型のばなな流であるけれど、後段の「そう思った」とぬけぬけとためらいもなく言い放つところが、ばななの真骨頂である。そこにはこの魂の単純明快さと強さときよらかさが息づいており、世界と未来への天真爛漫な信頼が輝いている。

前作の「まぼろしハワイ」と違って今回はプロットの構成や時間軸の構築の仕方に技術的な難があるけれど、その破綻を覚悟してあえて突き進んでいるところにこの小説家の勇気と良心が認められる。

♪崩落の危険はいずくにもあり我が庵にもわが心にも 茫洋