蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

ある家庭の光景


♪バガテルop66

「雨だ雷だ」と大騒ぎするアホ馬鹿天気予報官のおかげで長男は施設に行くのをやめてしまいました。

彼は施設が好きだし、普段は朝早くから起きだして行くのを楽しみにしています。いたって勤勉な彼ですが、彼は雷が大きらいなのです。

放送局のお兄さん、お姉さん、お願いですからガセ雷警報だけは止めてください。彼が一日休むと、それだけ施設の収入が減るのですよ。

 その日の晩御飯のあとでどういうわけだかお汁粉が出てきました。ふだんはあまり手を出さない彼ですが、両親がチンした熱い奴をフウフウ吹きながらおいしそうに飲んでいるのをみたからでしょう、「僕も食べます」と珍しくリクエストしました。

「熱いから気をつけるんだよ。まずフウフウしてから、スプーンで上下に混ぜるんだよ。そうするとさめるからね」とお父さんがアドバイスしますと、彼は父親から言われたとおりに、銀の匙を熱い液体の中にそおっと差し入れ、ゆっくりゆっくり上下に動かしています。いつまでもいつまでも動かしています。

中学の理科の実験で、フラスコの中に入ったナトリューム溶液を、透明なガラス棒で撹拌するように、細心の注意を払いながらかきまぜているその姿は、まるで瞑想する僧侶のようでした。

両親は、思わずお汁粉を飲むのをやめてその姿に見入っていましたが、突然母親が「まあほんとうに、なんて無垢な子なんでしょう」と感に堪えたように呟きました。

父親も「うん、そのとおりだね。僕もいまそう思った」と応じましたら、母親は、「それなのにあなたって人は、そんな良い子を怒鳴りつけたりして……」と恨めしそうに夫をにらんだので、その父親は「そうだ、こうしてはいられない。仕事、仕事、締め切り、締め切り」とモグモグ言いながら、蟹の横這いのように書斎に逃げ込みました。


♪わが名と同じ亡羊という歌人を見出したり致し方なく今日よりは茫洋とせむ 茫洋