蝶人戯画録

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石井宏著「天才の父レオポルド・モーツアルトの青春」を読む


照る日曇る日第138回&♪音楽千夜一夜第38回

メイナード・ソロモンの浩瀚なモーツアルト伝の訳者として知られる石井宏氏が自身の企画と構想によるモーツアルト家の物語全5部の執筆に乗り出した。

本書はその序論であるが、天才の父親レオポルトの生誕から天才児の誕生の瞬間までを「史実をベースにした小説」というユニークなスタイルで叙述している。

1791年、レオポルトは欧州中世の封建的な伝統を色濃く受け継ぐ南独アウクスブルク近郊の貧しい製本屋マイスターの息子として生を享けた。鋭い頭脳と強い意志の持ち主だったレオポルトは、貴族社会の一角になんとかして食い込もうと、父親の死後母親の嘆願を退けてザルツブルクの大学に進学したが、何者かの陰謀に巻き込まれてエリートへの階段から転落してしまう。

母親からも絶縁されて天涯孤独の身の上になったレオポルドは、小さな伯爵家の使用人兼楽士家業に身をおとすが、親切な老人の庇護のおかげでザルツブルクの大司教付き宮廷オーケストラの4番バイオリニストの席にありつく。レオポルドの職業音楽家への道、天才児モーツアルトの教育者としての遠大な道はここからはじまったのである。

産んでは死なせ、死なせては産んだ数多くの子供たちのなかからかろうじて残ったのが姉ナンネルとその弟ウオルフガングのたった2人のきょうだいだったが、彼らの愛と憎しみの物語はまだ語られてはいない。興味深いのはモーツアルトの授乳を母乳にせよと命じたレオポルドの決断で、おそらくはそれが彼の夭折を救ったのだった。

本書の第5章で詳しく取り上げられている「レオポルド・モーツアルトのヴァイオリン教則本」の内容は、今日ではもはや常識となったことが述べられているが、当時としては画期的だったと思われる。

「モルト・アレグロはアレグロ・アッサイよりもほんのわずか遅いが、アレグロよりも速い。(中略)アダージョ・カンタービレと指定されている箇所では、けっして俗悪な装飾音を付け加えたり、長く音をひっぱったりして歌わせ過ぎてはてはいけない」(適当に引用)などというくだりを読むと、逆に当時の演奏の実態がうかがえるし、同じザルツブルク生まれのカラヤンのレガート奏法のことなどが思われて複雑な感慨が沸く。

レオポルド・モーツアルト指揮ザルツブルク宮廷オーケストラの演奏は、もしかすると現代の演奏に近かったかもしれないという気がしてくるのである。


♪セオリーの真白きパンツをはきこなす背高き女性の尻のかたちよ 茫洋