蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

日中共同研究「「満洲国」とは何だったのか」を読んで


照る日曇る日第165回

いわゆる満州国について私たちの父祖たちが行った行為について、私たちはあまりにも知らなさすぎるのではないだろうか。
おりから珍しくも日本と中国の歴史家たちが共同で「満州国」について研究した成果を集大成した本書が刊行されたのは意義深いことだった。

日本から見ても中国から見ても、政治経済生活文化面から見ても、民族自決の観点から眺めても、日本帝国主義の軍事的侵略と植民統治の奇怪なアマルガムであるこの偽国家の威勢の良いでっち上げとその最後の土壇場の目も当てられない無様な崩壊は、日本人の本性をあますところなく全世界に見せつけるむごたらしくも口悔しい事例となった。

そしてその源流を垣間見るためには、「韓満ところどころ」で無邪気に一等国の優越感に浸って二等国民を見下していた漱石子規の時代、いな本当は日清日露以前の征韓論の時代までさかのぼらなければならないが、だがしかし、もしも一九三一年九月一八日の柳条湖事件なかりせばと思ってみるのも阿呆なことか。

とにもかくにも、頼まれもしないのに自分の勝手な都合だけでよその国に武装して乗り込んでいって、気に入らないやつを皆殺しにしたり、自分で鉄道を爆破しておいてそれを他人のせいにして罪をなすりつけたり、反対する者を投獄したり、拷問したり、「丸太」と称して生きたままでマウス代わりに細菌実験の検体にしたり、土地や財産を取り上げたり、異国の太陽神や王を拝ませたり、生産物や収穫の大半を取り上げて異国に送らせたり、それらの行為をけっして悪事とは認識せず、八紘一宇だの王道楽土だの五族協和のために行った素晴らしく善いことだ、もしもどこか悪い点があったとすれば、それはその悪事を余儀なくしたもっと悪い奴らのせいだと世界に向かって公言した。

侵略と植民地支配の被害の実体的質量は、加害者から見ても被害者から見ても共通して等価であるはずだが、その認識は、加害者には霞のようにおぼろで、時と共にすみやかに忘れ去られ、対して被害者側には子子孫孫にまで痛々しく伝承される。
私はこの本で今まで知らなかった多くの事実を知らされて、日本人の普段は柔和な心性の深奥部には秘められた爬虫類の暗黒領域が根強く横たわり、そこには武と暴への陶酔が現在もなおめらめらと隠微な炎を消さずにいるのではないだろうか?という疑いを懐いた。あるいはそれは万国に共通するフロイドが説いた「エス」に起因するのかもしれないが。

満州には自分で望まずに渡った人やかの地で生まれた人も数多くいたが、志願して渡満した人もいた。漱石の「それから」に登場する平岡は、三部作の最後の「門」では安井と名前を変えるが、彼は日本ではうまく行かず、満州へ行って一旗揚げようとたくらむ。

帝大を出たインテリの安井には満州が日本の正当な領土であるという確信などあるわけがない。しかし、うさんくさい新天地ではあるが、もしかするとそこは己の胡散臭さにふさわしい新世界かもしれない。すでに先が見えたこの本国にはないものが満州にはあるかもしれない。その海のものとも山のものともつかない新天地で新しい自己実現を果たそうと見果てぬ夢を見るのであるが、まさにそのときこそ一個人が自覚的に侵略に乗り出した瞬間ではなかっただろうか。

のちになって日本帝国は余剰国民男女を国策で強制的に満州へ移民させるが、当時の日本には左翼崩れをはじめそういう了見の人物がごまんといたのである。

♪一ヵ月発注がない怖さかな 茫洋