蝶人戯画録

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「巨匠ピカソ展」を見る


照る日曇る日第168回


雨上がりの月曜日の午後、心ゆくまでピカソの2つのピカソ展を堪能しました。

いつどこで鑑賞しても私の目と心を楽しませてくれるピカソですが、今回の国立新美術館サントリー美術館あわせて200点以上の大回顧展は、1901年から1972年に至るまでの数多くの作品を制作年代順に配列してあったために、私なりの発見がありました。

それは当り前のことなのでしょうが、彼の芸術が歳月とともに成熟し、ついに最晩年に至って心と技、人格と芸術とが見事に融合し、自由奔放に独自の表現世界を切り開いたということです。

とりわけ1970年から72年にかけて制作された「家族」、「母と子」「風景」(新国)、そして画家が91歳で亡くなる前年に描かれた「若い画家」(サントリー)という題名の自画像は、この恋と冒険と波乱と試行錯誤に満ちた偉大なる芸術家の集大成ともいうべき虚心坦懐にして融通無碍な至高の芸域を私たちにあざやかに示しています。

それまでのピカソは、たとえ抽象画を描く際にも、「女の頭部」とか「マンドリンを持つ男」とかのタイトル(名辞)の意味に最後までとらわれていたようですが、晩年にいたってゲルニカに代表されるそれらのきまじめな名辞の世界との自問自答や自縄自縛からも最終的に解き放たれたように、私には感じられます。

「家族」や「母子」などという題名こそつけられていますが、もはやそれらはどうでもよくなって、対象との直截的な対偶関係を無視し、名辞以前の真に自由な世界に晴々と飛躍していったのではないでしょうか。

いつまでもこれらのキャンバスを眺めていたいと思わずにはいられない、この明るく、楽しく、軽やかで透明な境地にたどりつくまでに、おそらくは彼の初期の青の時代や、キュビズムの冒険や、新古典主義の迷走や、ミノタウロスへの肉薄、シュルレアリスムへの逸脱があったのでしょう。

とりわけ最後の最期の作品は、まるで芭蕉の俳諧のわび、さびの境地に通じるような枯淡と諦念と幻化、さらには一種の悟りさえ想起させる東洋的な作風が印象的で、これを1901年に描かれた有名なセザンヌ風の自画像(サントリー)と対比させて眺めると、ある偉大なる芸術家の生涯の最初と最後の足跡を同時に見せつけられたようで、凡人の一人としても複雑な感慨がわき起こってきます。

それから絶対に言い忘れてはいけないのは、彼の素晴らしい色使いです。初期の青の時代の青などはまだまだ素人の若気の至りであったと痛感させるような深々とした青、緑、そして紫などの色彩の取り合わせのなんと美しいこと。ゴッホのような狂気、をはらんだ濃さはなく、マチスの華麗さ、デユフィの浮遊性はありませんが、色彩本来のありかを正しくわきまえたものの見事な色使いに酔わされます。

しかし、それらの大型の油彩の超大作にも増して私が気に入ったのは、メリメの「カルメン」の挿絵の小さなリトグラフでした。余白をたっぷりとってまるで水彩画のような軽みと遊び心でひといきに描き上げられた闘牛士や闘牛や観衆の描線のなんと生き生きしていることでしょう。私は思わず良寛のひらがなの優美さや、北斎漫画の線の律動を思い浮かべたことでした。今回の作品でただ1点を選べと言われたら、私はこのあまりにも洒脱な筆のすさび(新国作品番号60)をあげるでしょう。


♪有名な青の時代の青よりもなお青き青をわれピカソに見き 茫洋