蝶人戯画録

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黒澤明の「どですかでん」を見る


照る日曇る日第191回

黒澤の「どですかでん」は昔一度見たきりで、あまり良い印象を受けなかったが、今回は随所に映画を見る楽しみが転がっていた。

この映画では、冒頭で頭師選手演ずる障碍少年が登場してドデスカデン、ドデスカデンと架空の電車を走らせるのだが、実際はその前に法華経の熱烈な信者である母親の菅井きんとの奇妙なやりとりがある。

母親は息子の知的障碍を苦に病んで、彼がこの障碍から回復してくれることだけを日蓮上人に祈願して♪南無妙法蓮華経を絶叫しているのだが、そんな訳があるとは露思わない六ちゃんは、訳もわからずに♪南無妙法蓮華経を絶叫するクレージーな母親の病の治癒を心から願っており、結局は親子二人で♪南無妙法蓮華経を絶叫するというナンセンスに着地するのだが、最初見た時、私にはそのナンセンスが下手くそでただのつまらぬナンセンスであるとしか思えなかった。

実際にはこの映画は、キャメラがそこからパンしていくと私の好きな武満徹による私の嫌いなギターが奏でる哀愁に満ちた主題歌が流れてこの映画のプロローグを形作り、およそ二時間後の同じ趣向によるエピローグと対をなしてこの山本周五郎原作の長屋物語の幕を閉じる。

その間に伴淳三郎による涙なしでは見られない夫婦愛の異常な発露、芥川比呂志と奈良岡朋子による新派風ホラー悲劇であるとか、幻想の建築ゲームに酔いしれて子を犠牲にしてしまう乞食とか、暴れん坊ジェリー藤尾の乱暴を見事におさめる長屋の長老渡辺篤などの怪演技が次々に我々を楽しませてくれるのだが、当時の私はもはやそのような本編の多彩なエピソードに魅入られることはなかった。

この映画が製作されたのは一九七〇年であるが、ここに登場する六ちゃんやら乞食の三谷昇によって死に至らしめられる少年の悲しみをほんとうに理解するためには、この映画を見てから何年も経って私と家族が六ちゃんのお仲間となってそういう身の上の切実さを身をもって知ることができてからのことだった。

♪人生はうれしやかなしやどですかでん 茫洋