蝶人戯画録

毎日お届けする文芸、映画、エッセイ、詩歌の花束です。

大船観音詣


鎌倉ちょっと不思議な物語第152回

大船駅の上に聳えている白亜の巨像がこの“くわんのんさま”です。

市の資料によれば、1929年昭和4年に永遠平和のために地元有志がその建立に着手し、1934年昭和9年に像の輪郭ができあがたそうです。私のおぼろな記憶では、その基本デッサン作業には彫刻家の朝倉文夫さんも加わっておられたようです。

その後戦争などにより未完のままになっていたのを、戦後曹洞宗永平寺管長の高階禅師らが中心となり大船観音協会が設立され、1960年昭和35年に完成し、1981年昭和56年からは曹洞宗大船観音寺になった、そうです。

それはどうでもいのですが、ここ大船周辺には曹洞宗、北鎌倉から鎌倉には建長寺円覚寺など臨済宗のお寺が多く、同じ禅宗とはいえ鎌倉時代からお互いの教線がするどく対峙していたことがうかがえます。

大船観音に実際に上って見ると、かなりの急坂で、少し息が上がりましたが、すぐに頂上に達し、そこからは駅や電車やビルや山々をのぞむことができます。
改めて“くわんのんさま”のお顔を拝しますと、さすがに慈愛に満ちたかんばせです。けれど、なにやらいまひとつ物足りない。できたら今は亡き岡本太郎先生に登場していただきたかったと思わないでもありませんでした。

晴れ上がった秋の空に伏し目がちに慈愛の眼差しを注いでいる“くわんのんさま”を眺めているうちに、こんなことを思い出しました。
私は25年ほど前に、鎌倉で住まいを捜していましたが、ある時地元の不動産屋さんが「どこでもいい。“くわんのんさま”のお姿が拝める部屋に住みたいと願っているお年寄りがいるんです。変わった人ですな」と嘲笑っていたのです。そのときこの私までもが破廉恥にもえへらえへらと憫笑してしまったことが今になって悔やまれます。

あれほど親切に、あれほど多くの物件を一緒に探してくれたのに、私は結局その不動産屋さんの世話にはならずに別の業者の紹介で現在の家を手に入れたのですが、彼の自慢の美人の奥さんも数年前に亡くなり、近所にある彼の家は障子の紙は破れ放題になって秋風に震えています。歳月を経て老人の心のありようについていささか思い知らされた私たちですから、いまなら彼も黙ってそのような条件の部屋を熱心に捜してやったことでしょうに。

あのとき話題になった老人は、どこかこの近くのアパートでも見つけることができたのだろうか。そしていまなお健在なのだろうか、と私はトンビが“くわんのんさま”の頭上をくるりくるりと飛び回る高台で考えたことでした。


♪窓を開ければくわんのんさまが見えるそんな部屋にてわれも死にたし 茫洋