鎌倉文学館で「掘辰雄展」をみて
茫洋物見遊山記第139回&鎌倉ちょっと不思議な物語第295回
堀辰男が鎌倉に住んでいたとは知らなかった。
彼はこの地を昭和13年に結核療養で訪れ、翌年から駅前の「おんめさま」や日蓮受難の地のあたりで短い間新婚生活を送りながら「菜穂子」を書いたそうだが、中原が現在の清川病院で死んだのが昭和12年の10月なので、その直後に鎌倉にやって来たことになる。おそらく同じ病院ではないだろうか。
「おんめさま」は安産で知られるが、私はここにお参りをしたにもかかわらず同じ小町の針谷産婦人科で障がいのある子が生まれてしまったので、あまり霊験があらたかとまでは言えないと個人的には思っています。
堀辰男といえば富士見にあった結核療養のためのサナトリュームが思い出されるが、私の妻君は同じ富士見の生まれなので、この作家とは多少の縁があるといえばあるのであるのであるん。
会場には例によって作家の原稿や書簡などで埋め尽くされているが、ちょっと珍しかったのは生前彼が使用したという蓄音機で、これで彼が聴いたというコルトーのショパンの「24の練習曲」作品28が流れていた。ショパンは私があまり高く評価していない作曲家だが、コルトーとフランソワだけは聴くに堪える演奏だと思っているので、さすが掘辰雄だと思ったことであったんであったんや。
なお本展は、来る12月1日まで冬薔薇も咲いている同館にてうらさびしく開催中です。
コンビニのレジ前の西瓜姿消し桃と葡萄と梨並ぶ朝 蝶人
*毎日短い「本日のお言葉」を写真入りで呟いています。お暇ならフォローしてみてくださいな。